吉田兼煕
南北朝時代から室町時代初期の神祇官・吉田神社社務・公卿(卜部氏初)。正三位・神祇大副、侍従。卜部氏17代、吉田家の家祖。吉田卜部氏中興の祖。室町小路にあった自宅の敷地を足利
(吉田兼熙から転送)
吉田 兼熈(よしだ かねひろ)は、南北朝時代から室町時代初期にかけての神祇官・吉田神社社務・公卿。卜部兼豊の子。官位は正三位・神祇大副、侍従。卜部氏17代・吉田家家祖。吉田卜部氏中興の祖とされる。
時代 | 南北朝時代 - 室町時代初期 |
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生誕 | 貞和4年(1348年) |
死没 | 応永9年5月3日(1402年6月3日) |
改名 | 室町兼煕→吉田兼煕 |
別名 | 吉田聴昇殿、神光霊神 |
官位 | 正三位、神祇大副、侍従 |
氏族 |
卜部氏嫡流吉田家 卜部宿禰→卜部朝臣[1] |
父母 | 父:卜部兼豊、母:不詳 |
兄弟 | 卜部兼繁、兼熈 |
妻 | 不詳 |
子 | 兼敦、定心院上臈、兼村、兼行、兼富、兼任 |
経歴
編集永和元年(1375年)、それまでの宿禰を改め朝臣の姓を賜った[1]。
永和4年(1378年)、室町幕府3代将軍・足利義満が室町第に移ったことから、それまで名乗っていた室町を憚って、社務を務める吉田を家名とした。至徳3年(1386年)、それまでの父祖の官位の例(神祇伯の相当位階は従四位下)を超えて従三位に叙され、公卿に列せられた。明徳3年(1392年)には南北朝合一に向けての交渉(明徳の和約)にあたった。
系譜
編集- 父:卜部兼豊
- 母:不詳
- 妻:不詳
- 男子:吉田兼敦
- 女子:定心院上臈
- 男子:吉田兼村
- 男子:吉田兼行
- 男子:吉田兼富
- 男子:吉田兼任