吉川泰次郎

日本の実業家・官僚

吉川 泰次郎(よしかわ たいじろう、1852年1月20日嘉永4年12月29日) - 1895年明治28年)11月12日)は、明治期の実業家官僚、教育者。日本郵船二代目社長。従五位勲三等

吉川泰次郎

経歴

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紀伊国(現・和歌山県)に奈良神官の子として生まれる。江戸に出て軍艦奉行木下利義の門に学び、明治維新が起こると官軍の追跡を受けたが脱走し、大阪の知り合いの紹介で慶應義塾に学ぶ。松山棟庵に付き添って和歌山に移り、1870年(明治3年)慶應義塾から弘前英学校東奥義塾)に招かれる。1873年(明治6年)文部省八等出仕となり宮城師範学校(現・宮城教育大学)校長に就任。1878年(明治11年)郵便汽船三菱会社に入り、神戸支配人・東京支配人を歴任し、1894年(明治27年)に2代目の社長となった。1891年には佐久間貞一と日本吉佐移民会社設立(民間初の移民会社で、主に南洋への鉱山砂糖労働者の契約移民送出を業務とした)[1]日清戦争中の激務もあり、肺結核で死去した。墓所は染井霊園

栄典

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脚注

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  1. ^ 移民会社と地方政党--熊本国権党の植民事業を中心として 佐々博雄、国士館大学文学部人文学会紀要 (15), p61-80, 1983-01
  2. ^ 『官報』第3715号「叙任及辞令」1895年11月14日。
公職
先代
箕浦勝人
校長事務取扱
仙台師範学校長
1878年
次代
箕浦勝人
校長事務取扱
先代
松林義規
  宮城師範学校
1877年 - 1878年
次代
(廃止)
その他の役職
先代
森岡昌純
日本郵船会社社長
1894年 - 1895年
次代
近藤廉平