吉川喜芳
吉川 喜芳(よしかわ のぶよし、1889年(明治22年)2月2日[1] - 1967年(昭和42年)4月1日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
吉川 喜芳 | |
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生誕 |
1889年2月2日 日本 茨城県 |
死没 | 1967年4月1日(78歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1911年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1889年(明治22年)に茨城県で生まれた[1]。陸軍士官学校第23期卒業[1]。1933年(昭和8年)8月に陸軍技術本部部員に就任し[2]、1937年(昭和12年)8月に陸軍歩兵大佐に進級した[2]。1940年(昭和15年)8月に第11軍兵器部長に転じ[2]、日中戦争に出動した[1]。
1941年(昭和16年)3月1日に陸軍少将進級と同時に独立混成第14旅団長に着任し[2]、1942年(昭和17年)2月に歩兵第57旅団長を経て[2]、1944年(昭和19年)2月に独立歩兵第14旅団長(第1軍)に就任し[2]、潞安の守備に就いた[1]。1945年(昭和20年)3月1日に陸軍兵器行政本部附となり[3]、3月19日に第5方面軍兵器部長兼北部軍管区兵器部長に就任し[4]、札幌で終戦を迎えた[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。