吉岡 義豊(よしおか よしとよ、1916年6月12日 - 1979年6月19日)は大正大学文学部教授、文学部長。専攻は東洋哲学高知県長岡郡出身。

よしおか よしとよ

吉岡 義豊
生誕 (1916-06-12) 1916年6月12日(108歳)
高知県長岡郡
死没 (1979-06-19) 1979年6月19日(63歳没)
東京都豊島区上池袋
死因 脳内出血
住居 埼玉県さいたま市北区別所町98-6
国籍 日本の旗 日本
配偶者 吉岡貞典(長男)
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経歴

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1929年に生地の真言宗豊楽寺住職吉岡皎然の養子となり得度。1939年外務省より北京に留学、1940年には道教の本山・白雲観に入り、終戦まで道教を中心とした宗教遺跡調査・資料収集に務める。その後、智山専門学校を卒業し1947年大正大学に奉職、助教授を経て、1955年に教授に就任、また日本道教学会の設立・運営に尽力。この間、東北大学福井大学東京大学高野山大学北海道大学等で教え、初期の道教研究者の一人として活動した。1960年大正大学文学博士学位を執る。1975年大正大学文学部部長に就任。

1979年6月19日午前8時10分に脳内出血の為、豊島中央病院で死亡[1]

著書

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  • 『道教経典史論』。 
  • 『道教の実態』。 
  • 『道教と仏教』。 
  • 『道教研究』。 

出典・参考文献

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  • 『20世紀日本人名事典』日刊アソシエーツ、2004年7月。ISBN 9784816918537 

脚注

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  1. ^ 読売新聞1979年6月19日夕刊11面より