合田健吉
合田 健吉(ごうだ けんきち、1897年(明治30年)6月28日[1] - 1975年(昭和50年)8月5日[2])は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員、香川県仲多度郡多度津町長。位階は正八位[2]。勲等は勲四等[2]。
合田健吉 ごうだ けんきち | |
---|---|
| |
生年月日 | 1897年6月28日 |
出生地 |
日本 香川県多度郡多度津町 (現・仲多度郡多度津町) |
没年月日 | 1975年8月5日(78歳没) |
出身校 | 早稲田大学商科卒業 |
前職 | 実業家 |
所属政党 | 交友倶楽部 |
称号 |
正八位 勲四等 |
配偶者 | 合田艶子 |
在任期間 | 1945年6月27日 - 1947年5月2日 |
第18代 多度津町長 | |
在任期間 | 1946年7月13日 - 1946年11月28日 |
経歴
編集香川県多度郡多度津町本通(現:仲多度郡多度津町)で、豪商「嶋屋」合田房太郎の二男として生まれる[1][3][4]。早稲田大学商科を卒業[1][4][注 1]。1937年(昭和12年)家督を相続した[3]。
1928年(昭和3年)以降、四国水力電気取締役、琴平電気鉄道取締役、琴平参宮電鉄取締役、屋島登山鉄道取締役、槙田鉄工取締役、協和鉄工所社長、亀陽航空社長、中讃興業社長、多度津銀行監査役などを務めた[1][2][3][4]。その他、多度津町社会教育委員、同農業会監事などにも就任した[2]。
1945年(昭和20年)6月27日、貴族院多額納税者議員に任じられ、交友倶楽部に所属して活動した[2][4][5]。1946年(昭和21年)7月13日から同年11月28日まで第18代多度津町長を務めた[6]。1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止により貴族院議員を退任した[2]。
親族
編集- 妻 合田艶子 - 号・浣水、歌人として知られた[4]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』199頁では修了。
出典
編集参考文献
編集- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『香川県人物・人名事典』 四国新聞社、1985年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年。