(かます)は、の一種。(わらむしろ)を二つに半折し、両端を縄で閉じて封筒状にした容器である[1]肥料石炭穀物などを入れる。「かます」は蒲簀の意。なお「叺」は国字である。

概要

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古くは『日本書紀』孝徳紀大化5年3月の条に見える。江戸時代、関西で綿花などの商品作物が盛んに栽培されるようになると、金肥(貨幣で購入する肥料)を使い商品作物の大規模生産が行われるようになった。この金肥は、蝦夷地北海道)で大量に獲れるなどから魚油を採った残りかすを原料として、叺に入れ北前船などで大消費地に運ばれた。

司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』では、江戸時代後期の商人・高田屋嘉兵衛が北前航路の往路でムシロを買い、関西へ持ち帰る金肥としての、干鰯鰊粕を現地生産して叺に袋詰めする様子が描写されている。

目が細かいため塩の輸送に最適な容器とされた[1]

また、米の輸送にも使用された[2]は円筒状で上下に蓋(桟俵)を付けて密封しなければならないが、叺は一端を閉じれば密封できる利点があった[1]。米の輸送は米俵や叺から麻袋などへ変遷していった[2]。戦後、麻袋が普及するようになると、麻を原料とする二つ折り両端ミシン縫いの袋も「叺」と呼ばれるようになった。ミシン縫いが可能になると、この形状の麻袋が大量生産されるようになった。紙封筒なども、同様な形状のものを「叺」と呼ばれることもある。

なお、魚のイカナゴの別名「かますご」は、一説に関西では叺にいれて売ったからその名があるという。

東北地方で食べられているかますもちは、形がこの袋に似ていることからそう呼ばれている。[3]

名称

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朝鮮語では、「가마니」(カマニ)という。これは日本語から「かます」が借用され、更に東南方言で音韻変化の結果である。

脚注

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  1. ^ a b c 後藤重巳「年貢の輸送と俵装 : 藁加工実習に関連して」『博物館研究報告』第8巻、別府大学博物館学講座、1984年2月、1-6頁、CRID 10505642877982563842023年8月24日閲覧 
  2. ^ a b さとのかぜ No.185”. 千葉県いすみ環境と文化のさと. 2022年10月26日閲覧。
  3. ^ 食の匠 かますもち”. 2022年5月5日閲覧。

関連項目

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