司馬 令姫(しば れいき、生没年不詳)は、北周の静帝の皇后。本貫は河内郡温県。
司馬消難の娘として生まれた[1]。
579年7月、正陽宮に入って皇后に立てられた。580年9月、司馬消難が南朝陳に亡命したため、楊堅の発議により、司馬令姫は皇后位を廃され庶人に落とされた。後に隋の司州刺史李丹の妻となった。唐の貞観年間には、なお生存していた。