古藤増治郎
古藤 増治郎(ことう ますじろう、1881年〈明治14年〉2月6日[1] - 1945年〈昭和20年〉3月7日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(立憲民政党)。大阪府浜寺町長。
経歴
編集大阪府泉北郡山滝村(現在の岸和田市)出身[1]。井出清太郎の二男として生まれ、古藤家の養子となった[1]。1901年(明治34年)、大阪府師範学校を卒業し、各地の小学校長を歴任した[2]。1917年(大正6年)、浜寺町会議員に選出された[1]。ついで1918年(大正7年)から1936年(昭和11年)まで浜寺町長を務め、泉北郡町村会長にも就任した[1]。また1927年(昭和2年)と1931年(昭和6年)には大阪府会議員に当選し、参事会員、副議長を歴任した[1]。
1936年、第19回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
その他、大阪府浜寺土地株式会社取締役、大阪府緞通絨毯類工業組合理事長、大阪府平織緞通組合理事長を務めた[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。
- 『泉州名鑑 巻2』夕刊関西日日新聞社、1938年。