古河地方航空機乗員養成所
古河地方航空機乗員養成所(こがちほうこうくうきじょういんようせいじょ)は、「航空局官制中改正ノ件」(昭和十五年勅令第八十一号)により改正された「航空局官制」(昭和十三年勅令第五六号)に基づき設置された逓信大臣の管理に属する航空機乗員養成所で茨城県猿島郡岡郷村(現茨城県古河市)に建設された。
概要
編集- 茨城県猿島郡岡郷村の小堤地区・関戸地区の両地区にまたがり設置された。(市町村名は旧名。現在の古河市丘里工業団地である。)
- 養成所開場日は昭和17年4月21日。
- 当時地元での通称名は、「小堤の飛行場」、「岡郷の飛行場」、「関戸飛行場」である。(尚、記述した通称名は地元での有名順である。)
- 入所資格は国民学校初等科修了者。養成所卒業者には中等学校卒業者と同等の資格、二等飛行機操縦士、二等航空士、滑空士の技量証明書が与えられた。
- また、卒業者の義務として、卒業後五年間は航空局長官の指定した業務に就く事が課せられ、陸海軍に召集された時には、短期の軍隊教育により予備役・下士官に任官する事が課せられた。
- 飛行場は全面転圧仕上げ+芝張り(全面が芝張りだったかは定かではないが、後の開拓に携わった方の証言から、芝張りされていた事が明らかになっている。)
歴史
編集- 昭和15年2月 岡郷村の逓信省飛行士養成所設置に関する記事(「いはらき」昭和15年2月6日)
「逓信省の飛行士養成所 岡郷村に設置さる」:猿島郡岡郷村關戸地内に百町歩の地を選定、逓信省航空局のパイロット養成所を設置することになった、 目下同村諏訪村長が各地主間を奔走敷地買収の交渉をすゝめてゐるがすでに大部分は決定を見、技術員出張して現地の測量に従事してゐる、尚全部の測量は三月中旬頃終了の見込で四月には工事に着手本年度中には完成の予定で、山林の開墾地ならし等の労力奉仕には同村青年団員がこれに当たつてゐる。同所は約一里で東北本線の古河町に通じ交通至便、飛行場としては理想的の土地だといはれている。
年表
編集- 昭和15年2月:岡郷村關戸地内に逓信省航空局のパイロット養成所の設置が決定される。
- 昭和15年3月:測量完了
- 昭和15年4月:建設工事開始
- 昭和17年4月21日:古河地方航空機乗員養成所開所
- 昭和18年4月:名称変更により「地方」が削除され、古河航空機乗員養成所となる。
- 昭和19年4月:名称に再び「地方」が付き、更に宇都宮陸軍飛行学校古河分校が併設される。
- 昭和19年11月:松戸高等航空機乗員養成所古河支所が併設される。(古河支所、地方、陸軍飛行学校分校の3つが併設状態となる。)
- 昭和20年2月:松戸高等航空機乗員養成所から独立し、古河高等航空機乗員養成所と改称される。(陸軍飛行学校分校、古河地方、古河高等の3つが併設状態となる。)
- 昭和20年8月15日:敗戦
- 昭和20年8月:敗戦により廃校となる。
- 昭和20年8月:米軍が駐屯し始める。
- 昭和20年11月9日:緊急開拓事業実施要領が政府により決定され、当地は茨城県内にあった旧軍用地16地区の1つとして開拓の対象となった。
- 昭和21年3月:跡地に第一次として30戸が入植する。
- 昭和23年 月:第二次として20戸が入植する。
- 昭和23年以降?:駐屯していた米軍が撤収。
- 昭和32年:茨城県から「新村建設モデル村」の指定を受け、工場誘致にかかる。
- 昭和38年1月:用地買収が完了
- 昭和38年8月31日:工業開発地区の指定を受ける。
- 昭和39年:日本住宅公団により丘里工業団地に造成が開始される。
- 昭和41年:丘里工業団地の造成が完成。
出典
編集- 1 『そうわの文化財8号』 総和町教育委員会生涯学習課町史編さん係発行、P88〜P108(元古河歴史博物館長 石川 治 先生による、平成十一年二月二十七日に行われた講演会講演録)
- 2 『そうわ町史研究 第三号」(総和町史編さん委員会、平成九年三月三一日発行)
- 3 『総和町史 資料編 近代・現代』(総和町史編さん委員会、平成十六年三月三十日発行)
- 4 『赤とんぼ 旧逓信省航空機乗員養成所 本科第二期生会記念誌』(旧逓信省航空機乗員養成所 本科第二期生会、昭和五五年一月一五日発行)