大崎市立古川第一小学校
宮城県大崎市にある小学校
(古川第一小学校から転送)
大崎市立古川第一小学校(おおさきしりつ ふるかわだいいちしょうがっこう)は、宮城県大崎市古川にある公立小学校。略称は古一小(ふるいっしょう)。
大崎市立古川第一小学校 | |
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北緯38度34分39.89秒 東経140度57分9.96秒 / 北緯38.5777472度 東経140.9527667度座標: 北緯38度34分39.89秒 東経140度57分9.96秒 / 北緯38.5777472度 東経140.9527667度 | |
過去の名称 |
広才小学校 公立古川小学校 古川町立古川尋常高等小学校 古川国民学校 古川町立古川小学校 古川市立古川小学校 古川市立古川第一小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
古川町(1889年 - 1950年) 古川市(1950年 - 2006年) 大崎市(2006年 - ) |
併合学校 |
稲葉小学校 大柿小学校 江合小学校 古川市立米倉小学校 古川市立荒雄小学校 |
校訓 | まけるな、うそをいうな、よわいものをいじめるな |
設立年月日 | 1873年5月7日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B104222150018 |
校地面積 | 33,271 m2[1] |
校舎面積 | 6,820 m2[1] |
所在地 | 〒989-6152 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
沿革
編集- 1873年(明治6年)5月7日 - 稲葉村の瑞川寺に「第七大学区第二中学区四番稲葉小学校」、中里村の極楽寺に「第七大学区第二中学区五番大柿小学校」がそれぞれ開校[2]。
- 1876年(明治9年)12月 - 稲葉小学校・大柿小学校・江合小学校を統合して「広才小学校」となり、現在地に新校舎を落成[2]。
- 1879年(明治12年)1月 - 「公立古川小学校」に改称[3]。
- 1881年(明治14年)6月 - 李埣小学区(のちの荒雄小学校)の中里村域を学区に編入[4]。
- 1883年(明治16年)1月 - 校地を2,061坪拡張[5]。
- 1884年(明治17年)7月 - 志田郡稲葉村ほか45カ村の高等小学校に指定され、中等と初等を併設。平屋建て校舎を落成[6]。
- 1887年(明治20年)5月 - 江合小学校を分校とする[6]。
- 1889年(明治22年)
- 1891年(明治24年)
- 1894年(明治27年)7月 - 平屋建て校舎を落成[8]。
- 1898年(明治31年)6月 - 講堂と2階建ての新校舎を落成[7]。
- 1900年(明治33年)4月1日 - 農業補習学校を併設(1902年3月廃止)[7]。
- 1926年(大正15年)12月 - 新講堂を落成[9]。
- 1927年(昭和2年)
- 1929年(昭和4年)10月 - 北校舎を落成[9]。
- 1931年(昭和6年)6月 - 新南校舎と屋内体操場を落成[9]。
- 1935年(昭和10年)4月 - 古川町青年学校と古川町商業専修学校を併設[11]。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行に伴い、「古川国民学校」に改称[12]。
- 1943年(昭和18年)9月 - 相撲土俵を設置[12]。
- 1945年(昭和20年)5月8日 - 第二次世界大戦に伴う御仙部隊が北校舎と講堂を使用するため、二部授業を開始(終戦まで)[12]。
- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)9月 - 古川小学校父母と教師の会(現:PTA)を結成[13]。
- 1950年(昭和25年)12月15日 - 古川町の市制施行に伴い、「古川市立古川小学校」に改称[13]。
- 1951年(昭和26年)6月 - 新校舎を落成し、移転[12]。
- 1954年(昭和29年)9月 - プールを落成(25×15メートル、総工費250万円)[12]。
- 1958年(昭和33年)4月 - 正面校舎西に125坪の平屋建て校舎を落成[12]。
- 1959年(昭和34年)10月1日 - 荒雄小学校および米倉小学校と統合し、「古川市立古川第一小学校」となる[14][15]。
- 1960年(昭和35年)1月23日 - 完全給食を開始[12]。
- 1962年(昭和37年)4月9日 - 古川第二小学校の校舎が竣工し、中里・北町・台町・駅前通り・東浦地区などの児童750人を移籍。米倉教場の259人と、荒雄教場のうち宮袋・小泉・福浦地区などの児童71人を収容[16]。
- 1966年(昭和41年)12月 - 新校章を制定[17]。
- 1967年(昭和42年)5月 - 校木「大銀杏」を制定[3]。
- 1969年(昭和44年)7月 - 低学年用プールを落成[17]。
- 1970年(昭和45年)4月 - ことばの教室を開設[17]。
- 1973年(昭和48年)2月 - 同窓会を結成[3]。
- 1977年(昭和52年)3月 - 屋内運動場を落成[3]。
- 1978年(昭和53年)6月12日 - 宮城県沖地震により正面校舎が大破[3]。
- 1979年(昭和54年)10月 - 新正面校舎を落成[3]。
- 1980年(昭和55年)1月24日 - 児童の生活信条として「大いちょうの心」を制定[18]。
- 1986年(昭和61年)4月 - 特殊学級(肢体不自由)を開設[3]。
- 1990年(平成2年)4月 - 情緒障害学級に代わり、病虚弱学級を開設[3]。
- 1995年(平成7年)10月 - 大いちょう賛歌を作成[3]。
- 2002年(平成14年)9月 - 南校舎を改修[3]。
- 2006年(平成18年)3月31日 - 市町合併に伴い、「大崎市立古川第一小学校」に改称。
- 2011年(平成23年)
- 2013年(平成25年)
- 2017年(平成29年)3月 - 新プールを落成。体育館を大規模改造[18]。
教育方針
編集大いちょうの心
編集「まけるな」「うそをいうな」「よわいものをいじめるな」
校庭にある銀杏の木の歴史を基に、「まけるな うそをいうな よわいものをいじめるな」という「大いちょうの心」も制定している。
教育目標
編集豊かに生きる力を求めて
- 考える子
- 思いやりのある子
- たくましい子
出典:[23]
施設概要
編集主な施設を掲載。
学区
編集行政区を記載。
- 上古川区、本鹿島区、諏訪西区、諏訪中区、諏訪東区、千手寺町区、古川横町区、二ノ構区、西館東区、西館中区、城西区、竹ノ内区、大江向区、三日町北区、三日町南区、荒川小金丁区、川端区、十日町区、七日町区、浦町西区、浦町東区、前田町区、塚目南区、塚目北区
- 南町北区(南町4丁目を除く)
進学先の中学校
編集公立中学校の場合。
- 大崎市立古川中学校(大崎市古川二ノ構)
出典:[26]
アクセス
編集バス
編集- 「千手寺町」バス停(ミヤコーバス)から徒歩で約3分
周辺
編集- 大崎市立古川中学校
- 宮城県古川黎明中学校・高等学校
- 大崎市役所
- 大崎市民病院
著名な出身者
編集関連項目
編集脚注
編集出典
編集- ^ a b c d e “令和5年度 大崎市の教育”. 大崎市. p. 26. 2024年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月19日閲覧。
- ^ a b 古川市史編纂委員会 1972, p. 210.
- ^ a b c d e f g h i j k “沿革の概要”. 大崎市立古川第一小学校. 大崎市. 2006年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月24日閲覧。
- ^ 古川市史編纂委員会 1972, pp. 211, 218.
- ^ 古川市立古川第一小学校百年史編集委員会 1973, p. 79.
- ^ a b 古川市史編纂委員会 1972, p. 211.
- ^ a b c d e 古川市史編纂委員会 1972, p. 212.
- ^ 古川市立古川第一小学校百年史編集委員会 1973, p. 81.
- ^ a b c 古川市史編纂委員会 1972, p. 213.
- ^ a b c 古川市立古川第一小学校百年史編集委員会 1973, p. 85.
- ^ 文部省社会教育局『青年学校名簿 昭和11年4月末日現在』文部省社会教育局、1937年3月30日、165頁。doi:10.11501/1278127 。2024年4月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 古川市史編纂委員会 1972, p. 214.
- ^ a b c 古川市立古川第一小学校百年史編集委員会 1973, p. 88.
- ^ 古川市立古川第一小学校百年史編集委員会 1973, p. 90.
- ^ 古川市史編纂委員会 1972, pp. 214, 217, 221.
- ^ 古川市史編纂委員会 1972, pp. 214–215.
- ^ a b c 古川市立古川第一小学校百年史編集委員会 1973, p. 91.
- ^ a b c d e f g “沿革”. 大崎市立古川第一小学校. 大崎市. 2024年4月19日閲覧。
- ^ a b c “東日本大震災の記録 宮城県大崎市災害からの復興 - 第2章 被害の概要”. 大崎市. p. 46 (2014年6月). 2024年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月19日閲覧。
- ^ “広報おおさき No.61 - がんばろう!おおさき~ 生活に必要な情報や各施設の状況などをお知らせします~”. 大崎市 (2011年4月). 2024年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月19日閲覧。
- ^ “被災に伴い仮設校舎等を使用している小・中学校一覧”. 宮城県 (2013年4月1日). 2013年7月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月19日閲覧。
- ^ “被災に伴い仮設校舎等を使用している小・中学校一覧”. 宮城県 (2018年4月1日). 2022年3月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月19日閲覧。
- ^ “令和5年度学校要覧(教育活動)” (PDF). 大崎市立古川第一小学校. 大崎市. 2024年4月18日閲覧。
- ^ a b c d e “大崎市立幼稚園・小学校・中学校耐震診断および整備状況”. 大崎市. p. 1 (2016年3月). 2024年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月19日閲覧。
- ^ “業務経歴”. 株式会社企画整備設計公式ホームページ. 株式会社企画整備設計. 2024年3月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月19日閲覧。
- ^ a b “大崎市立小・中学校・義務教育学校通学区域一覧”. 大崎市 (2023年4月1日). 2024年4月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月18日閲覧。
- ^ “大崎市立小学校,中学校及び義務教育学校の通学区域に関する規則”. 大崎市例規集. 大崎市. 2024年4月18日閲覧。
- ^ 「吉野作造を給食で学ぼう!出身地宮城・大崎の小中学校、好物のおでんとアイスを献立に」『河北新報』2023年2月19日。オリジナルの2023年9月27日時点におけるアーカイブ。2024年4月18日閲覧。
- ^ “PROFILE”. 斎藤吾朗アトリエ. 2023年3月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月18日閲覧。
参考文献
編集- 古川市史編纂委員会 編『古川市史 下巻』古川市、1972年8月30日。doi:10.11501/9537250。
- 古川市立古川第一小学校百年史編集委員会 編『古川第一小学校百年のあゆみ』古川第一小学校百年祭実行委員会、1973年11月3日。