古寺巡礼 (和辻哲郎)
「この書は大正7年の5月、2,3の友人とともに奈良付近の古寺を見物したときの印象記である。」と、著者による昭和21年7月付けの改版序文にある。
刊行情報
編集内容
編集以下の太字の章数は1947年版の章数。太字の訪問地は原文の章題ではない。内容文の章数は初版の章数。
- 1 東京で
- 1 アジャンターの壁画の模写を見る。仏徒の壁にふさわしくない蠱惑的な女。
- 2 京都で
- 2 実家で父は、お前の今やっていることはどれだけ役に立つのかと言い、返事ができなかった。
- 3 南禅寺畔の叔父の家で。南禅寺の境内から流れる水が水車を回す。
- 3 京都の博物館で
- 4 仏画はガンダーラからシナへ、東へ来るほど清らかに気高くなる。
- 4 奈良へ
- 5 汽車で奈良へ。時々天平の彫刻を思わせるような女の顔に出逢う。
- 5 新薬師寺
- 6 新薬師寺の薬師像。木彫でこれほど堂々とした作は、ちょっと外にはない。
- 6 浄瑠璃寺と東大寺
- 7 平和な村の中の浄瑠璃寺。東大寺の戒壇院の四天王と、三月堂の不空羂索観音。
- 7 奈良国立博物館
- 8 夕食を食べながら今日見た芸術品について論じ合う。
- 9 奈良国立博物館。博物館の陳列の方法は何とか改善してほしい。
- 10 聖林寺十一面観音[注釈 3]。作者は不明だが、われわれの国土のものと感ずる。
- 8 奈良国立博物館
- 11 推古天平の最も偉大な作品は、同じくみな観音である。
- 12 百済観音。インドや西域の文化を漢人が咀嚼した様式。
- 9 奈良国立博物館
- 13 興福寺の諸作は巧妙だが深さを伴っていない。法隆寺の四天王は気持ちのいい芸風。
- 14 『日本霊異記』は天平の人の心持ちを表現している。
- 16 法隆寺の金堂の天蓋から取りおろした鳳凰や天人が特に興味深い。
- 10 奈良国立博物館
- 15 伎楽面。伎楽の楽と舞がどういうものか、『東大寺要録』や『供養記』から想像する
- 11 法華寺
- 17 法華寺の蒸し風呂。光明皇后が千人の垢を洗ったと『元亨釈書』は伝える。
- 12 法華寺
- 18 法華寺は大倭の国分尼寺で、光明皇后の熱信から生まれたものらしい。
- 19 法華寺の十一面観音。光明皇后をモデルに問答師が作ったと『興福寺濫觴記』にある。
- 13 法華寺
- 20 天平時代ほど女の活躍した時代はほかにない。
- 21 弘仁期の僧尼の気風は『日本霊異記』から知られる。
- 22 尼君の血色はまれに見るほど美しかった。
- 14 唐招提寺
- 23 唐招提寺の金堂。屋根の重さと柱の力との間の安定した釣り合い。
- 24 金堂盧舎那仏の右の脇士である千手観音は、手の交響楽をなす。
- 25 講堂は奈良京造営の際の建築である。ただし鎌倉時代の修繕で構造も変わった。
- 15 唐招提寺
- 26 鑑真の日本渡来。『鑑真東征伝』によれば随行した弟子は24人。
- 27 鑑真の将来した品物は多い。その目録。
- 28 奈良時代の日本は文化を輸入する国から自作する国へ変わる。
- 16 薬師寺
- 29 薬師寺には東洋美術の最高峰が控えている。
- 30 金堂の薬師如来。とろけるような美しさ。柔らかさと強さとの抱擁。
- 31 この三尊の制作は天武帝から持統帝の時代。帰化人や混血人によると思われる。
- 32 白鳳時代の東塔。東院堂の聖観音。一種の生気が放射して来るかのよう。
- 17 薬師寺
- 33 聖観音の作者は西域人ではなかったろうか。ガンダーラ美術の間に育ち、シナの素朴さを持つ。
- 34 木下杢太郎は薬師如来と聖観音に感動しなかった。それへの反論。
- 35 S氏の話。天平の仏工が台座の内側に落書きを残した。写しを見せてもらった。
- 18 奈良国立博物館
- 36 博物館の玄関脇の応接室の壁に古画をかけて見せてもらった。
- 37 法華寺の阿弥陀三尊[注釈 5]。単純でありながら微妙な深味。なにか永遠なもの。
- 19 奈良国立博物館
- 38 薬師寺吉祥天像[注釈 6]。地上の女であって神ではない。美人画として見れば非の打ちどころがない。
- 20 当麻寺
- 39 当麻寺の曼荼羅。解脱を思わせるものではなく、現世の享楽の理想化。
- 40 汽車で大和三山の間を通り、三輪山の麓から北へ、奈良市に戻った。
- 21 東大寺
- 41 月夜の東大寺南大門と大仏殿。月明に輝く三月堂。
- 22 法隆寺
- 42 法隆寺。五重塔の美しさをあらゆる方角から味わった。
- 23 法隆寺
- 43 法隆寺金堂壁画[注釈 7]。東洋絵画の絶頂。真実の浄土図。アジャンター壁画との相似。
- 44 橘夫人の厨子。そのなかの阿弥陀三尊。推古式と西域式の融合。
- 24 法隆寺から中宮寺へ
- 45 夢殿秘仏[注釈 8]。200年以上の秘仏をフェノロサが開かせた。
- 46 中宮寺の菩薩。なつかしいわが聖女。「たましいのほほえみ」を浮かべる。
- 47 かつてこの寺で、この観音の侍者にふさわしい尼僧を見たが、今回は逢えなかった。
初版と1947年版の異同
編集- 初版の47章を1947年版は24章にまとめた。しかし主旨の違う章を同一の章にまとめたため、論理関係がわかりにくくなった部分もある[要出典]。
- 「文章は添えた部分よりも削った部分の方が多いと思う」と、1947年の改訂版の序文に和辻自身が書いている。
- 初版の「僕は」という主語はすべて省かれ、主語が必要な文脈では「わたくしは」に変えた[要出典]。
- 生な感情の表現を、より落ち着いた客観的なものに変えた[要出典]。
- 初版は次の文で終わるが、1947年版では削られた。「もう中宮寺を書いてしまった。河内の観心寺、長谷の奥の室生寺、そういう予定を急に変更して、次の日には赤不動を見に高野へのぼった。いろいろ書きたいこともある。しかし、もう中宮寺がすんだ。それでこの旅行記も終ることにしよう。」
脚注
編集注釈
編集- ^ 岩波書店「和辻哲郎全集2」(解説谷川徹三)もこの版
- ^ 文庫・全集は現行漢字・仮名表記で、ワイド版(選書)が旧版・新版共に出版
- ^ 法華寺十一面観音は現在春秋のみ特別拝観可。
- ^ この章は各種文献からの考察を加えた最も長い章である。この章は1919年4月号の『帝国文学』に「天平伎楽とその伝統」という題で初出。
- ^ 法華寺阿弥陀三尊は現在春秋のみ特別拝観可。
- ^ 薬師寺吉祥天は現在正月のみ特別拝観可。
- ^ 金堂壁画は1949年の火事で焼け、以後公開されていない。
- ^ 救世観音菩薩は現在春秋のみ特別拝観可。