反ファシスト人民自由連盟
反ファシスト人民自由連盟(はんファシストじんみんじゆうれんめい、英語: Anti-Fascist People's Freedom League; AFPFL、ビルマ語: ဖက်ဆစ်ဆန့်ကျင်ရေး ပြည်သူ့လွတ်လပ်ရေး အဖွဲ့ချုပ်、パサパラとも)は、1945年から1962年までの間ビルマ(現ミャンマー)に存在した政党。
反ファシスト人民自由連盟 ဖက်ဆစ်ဆန့်ကျင်ရေး ပြည်သူ့လွတ်လပ်ရေး အဖွဲ့ချုပ် | |
---|---|
総裁 | ウー・ヌ |
成立年月日 | 1945年3月1日 |
解散年月日 | 1958年6月 |
政治的思想・立場 |
反ファシズム 民主社会主義 左翼 |
公式カラー | 赤 |
党の歴史
編集アウンサン、ウー・ヌなどによって、1944年に抗日運動の秘密結社として結成された。
1946年1月、AFPFL総裁にアウンサンが就任し、同年9月に彼は英領ビルマ政府の行政参事会議長に任命された。しかし、1947年にアウンサンが暗殺された為、党総裁と参事会議長の職はウー・ヌが引き継いだ。1948年の独立後、AFPFLは一貫して与党の座にあり続け、ウー・ヌが首相職に就いていた。しかし、AFPFLの万年与党化は、組織の腐敗と派閥抗争を生じさせ、ビルマ共産党の勢力伸張による社会騒乱を招いた。その為、1958年には軍人であるネ・ウィンが、ウー・ヌから政権を譲り受けて、選挙管理内閣を率いる事態が発生した。結局、1960年の国会選挙でAFPFLは大敗し、1962年のネ・ウィンによるクーデター後に革命評議会(軍事政権)によって解散させられた。