友井唯起子
友井 唯起子(ともい ゆきこ、1918年(大正7年)9月27日 - 1983年(昭和58年)11月22日)[1]は、日本のバレリーナ、振付師で法村友井バレエ団の創立者。日本初の大阪万博(日本万国博覧会)で振付を担当。日本バレエ協会副会長も長く務めた。
友井 唯起子 | |
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生誕 |
1918年9月27日 大阪府大阪市船場 |
死没 | 1983年11月22日(65歳没) |
国籍 | 日本 |
職業 |
バレリーナ 法村友井バレエ団創設者 日本バレエ協会副会長 |
略歴
編集1918年(大正7年)大阪府大阪市船場生まれ。本名角矢幸子(かくや ゆきこ)。大阪府立清水谷高等女学校(現大阪府立清水谷高等学校)卒業後、本格的にバレエの道に進み、「創作舞踊の天才」「現代舞踊の父」と呼ばれた石井漠に師事。1935年(昭和10年)大阪に支部開設の石井漠舞踏研究所1期生となり、同研究所で教えていた法村康之(ほうむら こうじ)と結婚。1937年(昭和12年)4月、法村友井バレエ団を創立した。1950年(昭和25年)東京にも拠点を新設。1965年(昭和40年)2代目団長に就任した。
日本バレエ界の発展へ1958年(昭和33年)日本バレエ協会を結成。1968年(昭和43年)から副委員長に就任。1974年(昭和49年)協会の公益法人化(社団法人)にともない、副会長となる[2]。
1981年(昭和56年)バレエ界へ長年の貢献に対し、紫綬褒章を受章した。
1983年(昭和58年)11月22日に死去。享年65。翌12月の22日、青山葬儀所で日本バレエ協会葬が行われ、勲章の勲四等宝冠章(現宝冠藤花章)を授与されている。
人物
編集一世を風靡した友井のバレエは、柔軟な肢体を生かした妖艶・情熱的な踊り。孫娘でバレリーナの法村珠里(じゅり)も「(祖母の)生まれ変わりと言われるほど性格も動きも似ている」という[3]。
友井のバレエの魅力のもう一つの源が、研究への情熱である。1952年(昭和27年)4月、友井は舞踊家として戦後初めて渡欧する。夫の法村とともに1年半フランスのパリを拠点に、本場のバレエを習得をはじめ、イギリス、ドイツ、イタリア、スイス、スペインを訪れ民族舞踊も研究。1956年(昭和31年)12月から1年間、再渡欧し、前回の各国に加えデンマーク、スウェーデン、ベルギー、オランダの舞踊も研究。また、当時渡航の難しかったソビエト連邦(現ロシア連邦)にも1965年(昭和40年)9月に訪れ、モスクワ、レニングラード(現サンクトペテルブルク)、キエフ(現ウクライナ首都)など各都市でバレエ学校やバレエ公演を視察している[4]。
研究も踏まえ、「シェヘラザード」や「ボレロ」「タマール」のほか、日本物など数多くの振付を考え出し、1970年(昭和45年)の大阪万博(日本万国博覧会)では、約700人の出演した開会式のグランド・バレエ「人類の進歩と調和」の制作・演出・振付も担当している[5]。
それらの貢献に対して1954年(昭和29年)大阪府から「大阪府芸術賞」(現大阪文化賞)(バレエ団として受賞)。1959年(昭和34年)度と1965年(昭和40年)度には、文部省から芸術祭賞奨励賞も受賞している(1960年度にもバレエ団として受賞)。1981年(昭和56年)には日本芸能実演家団体協議会から「芸能功労者表彰」となっている。
そのほか、アメリカのバレエ国際コンクールで2回、日本人で唯一の審査員となり、ヴァルナ国際バレエコンクールでは審査副委員長も務めるなど、国際的にも活躍している。
友井はバレエ以外でも活躍。松竹新喜劇俳優の曽我廼家明蝶が1964年(昭和39年)に設立の俳優養成所明蝶芸術学院で講師も務める。この学院は友井のほかに、作家の秋田實や黒岩重吾、藤本義一、田辺聖子、歌舞伎役者の片岡仁左衛門、落語家の桂米朝らが指導に立ち、結果、漫才師の海原はるか・かなた、横山たかし・ひろし、ぼんちおさむ(ザ・ぼんち)らを輩出するなど、特に漫才界に大きな足跡を残している[6]。
なお友井の家族では、長男法村牧緒(まきお)は同じくバレエダンサーとなり、1983年(昭和58年)法村友井バレエ団の3代目団長に就任。バレリーナの宮本東代子(みやもと とよこ)と結婚した。孫で珠里の兄の法村圭緒(よしお)もバレエダンサーになっている。
また、小学校の同級生にクラシック音楽の大御所作曲家の大栗裕がおり[7]、1977年(昭和52年)の法村友井バレエ団40周年記念特別公演では、作曲を大栗が担当、共演も果たしている[8]。
脚注
編集- ^ コトバンク
- ^ 日本バレエ協会の歩み
- ^ 法村珠里インタビュー ~バレエの「血」が脈打つプリマ、挑戦のとき~
- ^ 法村友井バレエについて 法村友井バレエ団&バレエ学校
- ^ 産経新聞夕刊2017年(平成29年)10月7日 法村友井バレエ団80周年記念公演 61年ぶり上演の作品も
- ^ 産経新聞夕刊2011年(平成23年)6月25日「上方漫才黄金時代」戸田学14 自腹で切り盛り「明蝶芸術学院」
- ^ 朝比奈隆を考える(はびきの市民大学最終第12回、朝比奈隆と大栗裕)大阪音楽大学の白石知雄講師のブログ
- ^ 法村・友井バレエ団特別公演 バレエ団創立40周年記念特別公演 - 昭和音楽大学バレエ総合データベース 2020年2月1日閲覧。