原胤禄
原 胤禄(はら たねとし)は、江戸時代後期の人物。千葉氏支流原氏の出といい、甲斐武田家の家臣原胤歳の子孫。12代目原家八王子千人頭[1][2]。祖父の原胤敦に続いて、1831年(天保2年)相模国津久井の調査を命じられ[2]、1836年(天保7年)に『新編相模国風土記稿』津久井県の部10巻を献上した[2]。剣は太平真鏡流[1]。
時代 | 江戸時代 |
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墓所 | 本立寺 |
主君 | 徳川家 |
氏族 | 千葉氏族原氏 |
父母 | 原胤広 |
出典
編集- ^ a b 数馬広二「八王子千人同心における武芸―大平真鏡流を中心として―」『武道学研究』第25巻第1号、日本武道学会、2021年、27-38頁、doi:10.11214/budo1968.25.1_27。
- ^ a b c “32.八王子千人同心多摩をゆく | 小平市立図書館”. library.kodaira.ed.jp. 小平市立図書館. 2023年3月8日閲覧。
参考文献
編集- 小平市立図書館「こどもきょうどしりょう 32. 八王子千人同心多摩をゆく」
- 数馬広二「八王子千人同心における武芸―大平真鏡流を中心として―」『武道学研究』第25巻第1号、日本武道学会、2021年、27-38頁