原 淳一郎(はら じゅんいちろう、1894年10月30日[1] - 1975年6月2日[2])は、日本の弁護士政治家衆議院議員(2期)。板垣退助先生顕彰会創立発起人顧問[3]

原淳一郎
はら じゅんいちろう
生年月日 1894年10月30日
出生地 日本の旗 日本 兵庫県
没年月日 (1975-06-02) 1975年6月2日(80歳没)
出身校 明治大学法律科卒業
前職 弁護士
所属政党 立憲民政党

選挙区 兵庫県第2選挙区
当選回数 2回
在任期間 1932年 - 1937年3月31日


兵庫県の旗 兵庫県会議員
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経歴

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兵庫県出身[4]1919年明治大学法律科卒。弁護士となる。兵庫県議、同参事会員、神戸市議、同参事会員、神戸弁護士会副会長となる[4]。高知電気工業、国策化学工業、神戸機械工作所各(株)取締役、(株)播磨造船所監査役[2]、神陽汽船、大陸鉱業、秋岺鉱業、三陽工業、三陽精機、太平金属各(株)社長、ラジオ高知初代社長、高知放送取締役となる[2]

1932年第18回衆議院議員総選挙において兵庫2区(当時)から立憲民政党公認で立候補して当選[5]1936年第19回衆議院議員総選挙で再選[6]1937年第20回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1975年死去。

脚注

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  1. ^ 衆議院『第六十一回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1932年、7頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』523頁。
  3. ^ 『板垣精神 -明治維新百五十年・板垣退助先生薨去百回忌記念-』”. 一般社団法人 板垣退助先生顕彰会 (2019年2月11日). 2020年9月1日閲覧。
  4. ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』522頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』102頁。
  6. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』110頁。

参考文献

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  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。