原嵩
原 嵩(はら しゅう、1997年12月6日 - )は、茨城県龍ケ崎市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 茨城県龍ケ崎市 |
生年月日 | 1997年12月6日(27歳) |
身長 体重 |
183 cm 84 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2015年 ドラフト5位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
編集プロ入り前
編集龍ケ崎市立松葉小学校、龍ケ崎市立長山中学校卒業。中学生時代は竜ケ崎シニアに所属。
専修大学松戸高校に入学すると、1年春からベンチ入りを果たすなど早い時期から頭角を現し、1年秋の新チームから背番号1を背負う。投手のほか外野手としても起用され、投打の双方でチームの中心を担った。2年夏は千葉大会決勝で東海大望洋高校に敗戦。3年夏は4番投手としてチームを牽引し、千葉大会決勝の習志野高校戦では満塁ランニング本塁打を打ち、チームを初の甲子園出場に導いた。甲子園1回戦の花巻東高校戦は5回途中で4点を失い降板し、試合も敗戦した[1]。チームメイトに渡邉大樹がいた。
2015年10月22日のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから5位指名を受け、11月17日に契約金3000万円、年俸500万円で契約した(金額は推定)[2]。背番号は56。専大松戸高からのプロ野球入団者は安藤正則(専修大学進学後の指名)、上沢直之に次いで3人目となった。
プロ入り後
編集2016年は一軍登板はなし。二軍では8試合に登板し1勝4敗、防御率は4.05だった。
2017年も一軍での登板はなかった。二軍では13試合に登板し0勝4敗、防御率は8.36と前年から大きく成績を落としてしまった。11月10日、右肩鏡視下手術、および右肘神経移行術を受けた[3]。
2018年は前年の手術によるリハビリのため一軍・二軍ともに登板がなかった。
2019年、3月8日の専修大学での練習試合で実戦復帰し、4月4日の東京ヤクルトスワローズ戦では復帰後初めて二軍戦に登板した[4]。この年は一軍登板はなかったが、二軍では20試合に登板し3勝3敗、防御率3.67だった。
2020年11月26日、翌年の支配下選手契約を結ばないことが通達され[5]、12月2日の自由契約選手公示を経て、12月21日に育成選手契約を結んだ[6]。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集- 一軍公式戦出場なし
背番号
編集- 56(2016年 - 2020年)
- 126(2021年)
登場曲
編集- 「Fight Song」Rachel Platten
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ “ロッテドラ5原は尾上松也似 1、3位とイケメントリオ結成だ”. スポーツニッポン (2015年11月18日). 2021年4月30日閲覧。
- ^ “ロッテ5位の原嵩が契約「楽しみでしようがない」”. 日刊スポーツ (2015年11月17日). 2015年12月9日閲覧。
- ^ “原投手の手術について”. 千葉ロッテマリーンズ (2017年11月11日). 2020年4月27日閲覧。
- ^ “ロッテ・原、後半戦はファームで安定した投球「結果を求めるようになった」”. BASEBALL KING (2019年10月4日). 2020年4月27日閲覧。
- ^ “ロッテ原と支配下結ばず 育成2選手ら再度育成へ”. 日刊スポーツ (2020年11月26日). 2021年10月28日閲覧。
- ^ “ロッテ原が育成契約 恩師・持丸監督に背中押され”. 日刊スポーツ (2020年12月21日). 2021年10月28日閲覧。
- ^ “ロッテ育成の原嵩投手に戦力外通告 今後は未定”. 日刊スポーツ (2021年10月27日). 2021年10月28日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
- 原嵩 (@1206harashu) - X(旧Twitter)
- 原嵩 (@h.shu56) - Instagram