厚木たか
人物
編集群馬県出身。日本女子大学卒。1930年、日本プロレタリア映画同盟に参加。構成を担当した『或る保姆の記録』(芸術映画社、1942年)が国民映画賞を受賞。脚本を担当した上野耕三・山添哲監督『オートメーション ―限りなき前進―』(記録映画社、1968年)が日本産業映画コンクール奨励賞[1]、荒井英郎監督『われわれは監視する—核基地横須賀—』(横須賀を映画で記録する会、1975年)がモスクワ映画祭平和委員会賞、ライプツィヒ国際記録・短編映画祭金鳩賞をそれぞれ受賞[2]。一時期哲学者の森宏一と結婚していたがその後離婚、本名は芳賀松枝。夫はアメリカで左翼活動を展開した芳賀武。
フィルモグラフィ
編集- 水木荘也監督『或る保姆の記録』(芸術映画社、1942年) - 構成
- 森永健次郎監督『転換工場』(朝日映画社、1944年) - 脚本
- 水木荘也監督『わたし達はこんなに働いている』(朝日映画社、1945年) - 構成
- 京極高英監督『少女たちの発言』(新世界映画社、1948年) - 脚本
- 宮津博監督『善太と三平』(東洋映画、1955年) - 脚色
- 柳澤壽男監督『どこかで春が』(新映画ぷろだくしょん、1958年) - 脚本
- 鈴木重吉構成・編集『東京オリンピックへの道』(1963年) - 脚本
- 上野耕三・山添哲監督『オートメーション ―限りなき前進―』(記録映画社、1968年) - 脚本
- 荒井英郎監督『われわれは監視する—核基地横須賀—』(横須賀を映画で記録する会、1975年) - 脚本
- 森永健次郎・川尻泰司監督『セロ弾きのゴーシュ』(1982年) - 製作
ビブリオグラフィ
編集- 雑誌掲載エッセイ・座談会
- 著書
- 訳書