厚和薬品
厚和薬品株式会社(こうわやくひん)は、主に医薬品・一般用医薬品の卸売を中心とする日本の企業であった。現在はメディセオ・パルタックホールディンググループの一社「クラヤ三星堂」である。医薬品の卸売手。武田薬品の商品のみを単独販売する会社として「合資会社塩見由三郎商店」・「合資会社岡本佐商店」・「合資会社福井七商店」・「合資会社安原富三郎商店」の4社が資本提携し設立した「株式会社武田薬品大阪配給所」を前身としている。昭和22年、過度経済力集中排除法の施行により、聖徳太子の「和を以て貴しと為す」を会社の経営理念としていたことから「厚和薬品」と社名を変更し他社メーカーの商品も扱う総合卸となる。
概要
編集沿革
編集- 1939年(昭和14年)4月11日 - 「株式会社武田薬品大阪配給所」創業
- 1947年(昭和22年)7月23日 - 「厚和薬品株式会社」に商号変更
- 1955年(昭和30年)3月 - 「大阪ウロコ会」発足
- 1957年(昭和32年)7月 - 「日本製薬株式会社」と保存血液の大阪府下一円の代理店契約締結
- 1961年(昭和36年)4月 - 「平松商店」(大阪府岸和田市)を武田薬品特約店に推薦
- 1962年(昭和37年)7月 - 「近畿・四国保存血液特約店制度」締結
- 1962年(昭和37年)11月 - 「南野薬品株式会社」と業務提携
- 1964年(昭和39年)末 - 厚生省(現・厚生労働省)の血液業務改革により「日本赤十字血液センター」が中心となり「献血」及び「預血」制度が推進され、大手血液メーカーは順次プラントの縮小を開始
- 1965年(昭和40年)4月 - 「堺営業所」開設
- 1965年(昭和40年)7月 - 「ふじや薬品株式会社」設立
- 1965年(昭和40年)11月 - 「タケダ会」発足
- 1966年(昭和41年)3月 - 「ミドリ十字」「日本製薬」等の大手メーカーによる血液業務停止により「血液業務」撤退
- 1966年(昭和41年)11月 - 「ヤナリ薬品株式会社」と業務提携
- 1967年(昭和42年)10月 - 「茨木営業所」開設
- 1971年(昭和46年)1月 - 三星堂と合併
主な取引メーカー
編集「三星堂」・「田辺薬品」・「厚和薬品」の3社による近畿大型合併
編集武田薬品を筆頭取引とする「三星堂」「厚和薬品」と山之内製薬を筆頭取引とする「田辺薬品」との合併でメーカー構成、品揃えを拡大、また兵庫県を中心としていた「三星堂」と大阪府を中心とした「田辺薬品」・「厚和薬品」の合併により商業圏を拡大し平均月商を22億1千百万円(三星堂単独では16億1千万円)に拡大した。当時の愛知県の「スズケン」の月商20億円を越えて業界トップにたつ。
営業拠点
編集関連企業
編集備考
編集- 代表取締役社長 木村清四は、武田薬品から出向した社員で初代「武田薬品福岡支店長」であった。