南部 信義(なんぶ のぶよし)は、陸奥国戦国大名南部氏21代当主[1]官位修理大夫

 
南部信義
時代 室町時代後期 - 戦国時代
生誕 寛正3年(1462年
死没 文亀3年5月24日1503年6月18日[1]
官位 修理大夫[1]
氏族 三戸南部氏
父母 南部信時
兄弟 信義政康野沢重義光康
北致愛[2]
テンプレートを表示

略歴

編集

20代当主・南部信時の嫡男[1]。子に北致愛がいる[2]

父同様に詳しい経歴はわかっていない。文亀元年(1501年)12月に父・信時が没したため家督を継ぐが、その後僅か1年余り後の文亀3年(1503年)5月24日に41歳で死去し、跡を弟・政康が継いだ。子の致愛は信義が死去した次の日に誕生したが、八戸信長の横槍によって22代惣領に就任できず、母方の北家に追いやられた。北信愛はこの南部信義の嫡孫にあたる[2]

脚注

編集
  1. ^ a b c d 阿部 & 西村 1990, p. 591.
  2. ^ a b c 阿部 & 西村 1990, p. 589.

参考文献

編集
  • 阿部猛; 西村圭子 編『戦国人名事典コンパクト版』新人物往来社、1990年9月。ISBN 4-404-01752-9