南悳祐
大韓民国の政治家
南 悳祐(ナム・ドグ、なん とくゆう、朝鮮語: 남덕우、1924年10月10日 - 2013年5月18日)は、大韓民国の政治家、経済学者。本貫は宜寧南氏[1]。
生涯
編集西江大学校教授を務めていた時、朴正煕大統領に招聘されて閣僚となり、財務部長官(1969年-1974年)、副総理兼経済企画院長官(1974年-1978年)を歴任。韓国の年間輸出額100億ドル達成(1977年)、1人当たり国内総生産1000ドル達成、米生産量4000万石達成に貢献した。また朴正熙大統領の輸出ドライブ政策を推進した。
1980年から1982年までは国務総理を務め、その後は韓日協力委員会会長を務めた。2009年5月には、皇居で旭日大綬章を授与[2]。
2013年5月18日死去[3]。88歳没。
脚注
編集- ^ “(53)의령 남씨(宜寧南氏)-150,394명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2014年9月11日). 2022年8月16日閲覧。
- ^ 韓日協力委員会の南悳祐会長、李承潤副会長が「旭日大綬章」を受章 日韓協力委員会
- ^ 南悳祐元首相が死去 MSN産経ニュース 2013年5月19日
公職 | ||
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先代 朴忠勲 (代理) |
大韓民国国務総理 ( 1980年9月2日~9月21日は代理) 第14代:1980 - 1982 |
次代 劉彰順 |
先代 太完善 |
大韓民国経済企画院長官 第22代:1974 - 1978 |
次代 申鉉碻 |
先代 黄鍾律 |
大韓民国財務部長官 1969 - 1974 |
次代 金龍煥 |