南三陸町立志津川小学校

宮城県南三陸町にある小学校

南三陸町立志津川小学校(みなみさんりくちょうりつ しづがわしょうがっこう)は、宮城県本吉郡南三陸町志津川にある小学校である。

南三陸町立志津川小学校
志津川小学校跡
地図北緯38度40分59秒 東経141度26分54秒 / 北緯38.682972度 東経141.448472度 / 38.682972; 141.448472座標: 北緯38度40分59秒 東経141度26分54秒 / 北緯38.682972度 東経141.448472度 / 38.682972; 141.448472
国公私立の別 公立学校
設置者 南三陸町
併合学校 南三陸町立荒砥小学校
南三陸町立清水小学校
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B104226060018 ウィキデータを編集
所在地 986-0753
宮城県本吉郡南三陸町志津川字城場75番地2
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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概要

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志津川町の志津川地区を学区としている。

沿革

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  • 1873年明治6年) - 海円寺を校舎として開校。当時の児童数は約130人[1]
  • 1876年(明治9年) - 出藍小学校とよばれるようになる[1]
  • 1886年(明治19年) - 志津川尋常高等小学校に改名[1]
  • 1909年(明治42年) - 新校舎落成[1]
  • 1937年昭和12年) - 校舎焼失[1]
  • 1940年(昭和15年) - 新校舎落成[1]
  • 1947年(昭和22年) - 志津川町立志津川小学校に改称[1]
  • 1960年(昭和35年) - チリ地震による津波で罹災[1]
  • 1980年(昭和55年) - 現校舎が城場山に落成[1]
  • 2005年10月 - 市町村合併にともない南三陸町立志津川小学校に改称
  • 2007年4月 - 南三陸町立荒砥小学校と南三陸町立清水小学校を統合[1]
  • 2011年3月 - 東日本大震災にて罹災

東日本大震災

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2011年3月11日に発生した東日本大震災では高台にある志津川小学校には被害は無かった[2]が、しばらく避難所として使用されることとなった。また校舎に被害があった南三陸町立戸倉小学校の児童を受け入れている。

児童は震災前の半分以下と減り、多くの児童が南三陸町内及び登米市などの仮設住宅から通学するようになった[3]2020年令和2年)現在は約6割の児童がスクールバスを利用して通学するようになった[3]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j 志津川小学校 沿革史”. 南三陸町立志津川小学校. 2021年3月6日閲覧。
  2. ^ ただし、津波にのまれた本校1学年男児1名が死亡した。参考リンク:志津川小学校沿革(学校ホームページ内) (PDF)
  3. ^ a b 学校・学区の様子・校木・校章”. 南三陸町立志津川小学校. 2021年3月6日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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