千宗拙(せんそうせつ、せんのそうせつ、文禄元年(1592年) - 承応元年(1652年))は茶人千宗旦の長男。

生涯についてははっきりしない点が多く、父宗旦と折り合いが悪かったため早くに家を出て江戸で浪人暮らしを送っていた(宗旦に勘当されたとの説がある)。

沢庵和尚の口利きで加賀藩前田家に仕えたがすぐに職を辞し隠居したという説と、宗旦の介入を嫌って仕官しなかったという説がある。

のちにに戻り、寄宿先の正伝寺で死去。