十六観智(じゅうろくかんち、: ñāṇa-dassana)とは、『清浄道論』にまとめられた上座部仏教ヴィパッサナー瞑想(観)によって獲得される智(ニャーナ, ñāṇa)の総称。

構成

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以下の16の智(ニャーナ, ñāṇa)から成る[1][2][3][4][要ページ番号]

  1. 名色分離智(nāmarūpa-pariccheda-ñāṇa) : 現象認知における意識(nāma ナーマ, 名)と対象(rūpa ルーパ, )の分離。
  2. 縁摂受智(paccaya-pariggaha-ñāṇa) : 意識(nāma ナーマ, 名)と対象(rūpa ルーパ, 色)の相互条件付け・因果関係の理解。
  3. 思惟智(sammasana-ñāṇa) : 上記の因果の生成消滅を通じての「三相」(無常無我)の理解。
  4. 生滅智(udayabbaya-ñāṇa) : 生成消滅のより深く明晰な理解。高い集中、平静さ、対象の微細化、時間感覚の伸張・喪失、強い光やイメージ(nimitta ニミッタ)の経験などを伴う。
  5. 壊滅智(bhaṅga-ñāṇa) : 生成消滅の消滅のみに注意を払い、対象の消滅と、それを観察する意識の消滅を感得。
  6. 怖畏智(bhaya-ñāṇa) : 消滅の継続的観察を通して、意識(nāma ナーマ, 名)と対象(rūpa ルーパ, 色)の生成消滅現象を危険なものと感得。ただしその危険感覚と自己の同一化を避けることで恐れは無い。
  7. 過患智(ādīnava-ñāṇa) : 消滅の継続的観察を通して、意識(nāma ナーマ, 名)と対象(rūpa ルーパ, 色)の生成消滅現象を、苦の集まりで、幸福はなく、無利益・不利益(過患)であると感得。
  8. 厭離智(nibbidā-ñāṇa) : 消滅の継続的観察を通して、意識(nāma ナーマ, 名)と対象(rūpa ルーパ, 色)の生成消滅現象を、魅力が無い退屈で疎ましい幻滅したものとして感得。
  9. 脱欲智(muñcitukamyatā-ñāṇa) : 上記6-8を踏まえた上で、その生成消滅現象から脱したい、自由になりたいと欲する。
  10. 省察智(paṭisaṅkhā-ñāṇa) : 瞑想を放棄せず、瞑想こそが唯一の解決手段であると考え直し、瞑想に留まり続ける。
  11. 行捨(saṅkhārupekkhā-ñāṇa) : 現象をより深く強い注意力で、対象から完全に距離を保って平静に観察する。「中道」「」に到達[5]
  12. (諦)随順智((sacca)anuloma-ñāṇa) : 上記4-11の「八智」の集成として、涅槃(現象の停止)へと向かう。
  13. 種姓智(gotrabhu-ñāṇa) : 涅槃(現象の停止)への移行。
  14. 道智(magga-ñāṇa) : 涅槃(現象の停止)の経験。一刹那。
  15. 果智(phala-ñāṇa) : 涅槃(現象の停止)の経験。二刹那。
  16. 観察智(反省智)(paccavekkhaṇa-ñāṇa) : 涅槃(現象の停止)経験の反省(振り返り)。4の生滅智(生成消滅)から瞑想再開[6]

七清浄との対応関係

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十六観智と、『清浄道論』に示された修行次第である「七清浄」における3~7の「清浄」との対応関係は以下の通り。

七清浄 十六観智
見清浄(ditthi-visuddhi) 名色分離智(nāmarūpa-pariccheda-ñāṇa)[7]
度疑清浄(kankhā-vitaraṇa-visuddhi) 縁摂受智(paccaya-pariggaha-ñāṇa)[8]
道非道智見清浄(maggāmagga-ñāṇadassana-visuddhi) 思惟智(sammasana-ñāṇa)
生滅智(udayabbaya-ñāṇa)[9]
行道智見清浄(paṭipadā-ñanadassana-visuddhi) 壊滅智(bhaṅga-ñāṇa)
怖畏智(bhaya-ñāṇa)
過患智(ādīnava-ñāṇa)
厭離智(nibbidā-ñāṇa)
脱欲智(muñcitukamyatā-ñāṇa)
省察智(paṭisaṅkhā-ñāṇa)
行捨智(saṅkhārupekkhā-ñāṇa)
(諦)随順智((sacca)anuloma-ñāṇa)
種姓智(gotrabhu-ñāṇa)
智見清浄(ñāṇadassana-visuddhi) 道智(magga-ñāṇa)
果智(phala-ñāṇa)
観察智(反省智)(paccavekkhaṇa-ñāṇa)

脚注

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参考文献

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  • ウ・ジョーティカ; 魚川祐司訳『自由への旅』新潮社、2016年。ISBN 978-4105068721 

関連項目

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