北豊吉
日本の衛生学者
北 豊吉(きた とよきち、1875年(明治8年)10月30日[1] - 1940年(昭和15年)8月31日[2])は、日本の衛生学者。医学博士。
経歴
編集石川県石川郡旭村(現在の白山市)出身[1]。1897年(明治30年)、第四高等学校医学部を卒業し、一年志願兵として入隊[1]。1898年(明治31年)、東京帝国大学医科大学衛生学選科に入学した[1]。1900年(明治33年)、陸軍三等軍医となり、翌年に東京帝国大学医科大学助手となった[1]。1902年(明治35年)、ドイツに留学し、ライプツィヒ大学で衛生学・細菌学を学んだ[1]。1904年(明治37年)に帰国後、日露戦争に召集され、陸軍二等軍医に昇進した[1]。1906年(明治39年)、大阪市技師となり衛生試験所長に就任した[1]。1916年(大正5年)、文部省学校衛生官に転じ、普通学務局第五課長、学校衛生課長、体育研究所所長を歴任[1]。その後、東京女子高等師範学校教授、同講師を務めた[3]。
著書
編集- 『細菌学講義 総論』(南江堂、1902年)
- 『細菌学講義 各論』(南江堂、1902年)
- 『学校衛生概論』(右文館、1920年)
- 『体育運動概論』(右文館、1920年)
脚注
編集参考文献
編集- 井関九郎『大日本博士録 第参巻』発展社、1926年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第11版』帝国秘密探偵社、1935年。