北条宗房

第7代執権・北条政村の4男。父の代から幕政の中枢にあり、北条貞時の元服、引付衆など要職や諸行事を参加した。正室は宇都宮経綱の娘。

北条 宗房(ほうじょう むねふさ)は、鎌倉時代後期の北条氏の一族。同時代に同姓同名の人物が2人存在する。

  1. 北条時隆の子。母は不詳。北条時村の孫。北条時房の曽孫。通称は相模馬助。官位は土佐守。生没年不詳[1]
  2. 第7代執権北条政村の4男。母は不詳。兄弟に北条通時北条時通北条時村厳斎北条政長北条政頼北条政方。通称は新相模四郎、相模右馬助。父の代から幕政の中枢にあり、北条貞時元服引付衆など要職や諸行事を参加した。弘安7年(1284年)に第8代執権の北条時宗が死去したのを受け、出家して道妙と号した。正室宇都宮経綱の娘。生没年不詳[1][2]

脚注

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  1. ^ a b 北条氏研究会、2001年、P.344
  2. ^ 北条氏研究会、2001年、p.345

参考文献

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  • 北条氏研究会『北条氏系譜人名辞典』新人物往来社 2001年

外部リンク

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