北村隆
日本の内務・防衛官僚
北村 隆(きたむら たかし、1902年(明治35年)4月19日 - 1982年(昭和57年)8月4日)は、日本の内務・防衛官僚。 岡山県和気郡三石村字三石(現:備前市)に、父北村貫皐、母古美津の長男として誕生。本籍地は岡山県邑久郡太伯村乙子(現:瀬戸内市)。
戦前は内務省警保局の官僚として特高警察や、警保局経済保安課課長、兵庫県警察部長を務めた。戦後はいわゆる「逆コース」に乗って復帰し、保安庁保安研修所、内閣国防会議事務局長などを歴任、叙勲された。
学歴
編集職歴
編集- 1928年4月、広島県属(見習い)。
- 1932年1月、青森県警察部特高課長。
- 1934年4月、群馬県警察部特高課長。
- 1935年1月、内務省警保局警視庁労働課長。
- 1937年7月、内務省警保局事務官(警務官)。
- 1939年1月、厚生省労働局労政課長。
- 1941年9月、静岡県経済部長。
- 1941年10月、内務省警保局書記官・警備課長。
- 1942年7月、内務省警保局書記官・経済保安課長。
- 同職は統制経済に入り、経済事犯が増加したために設けられた。
- 敗戦が無ければ官選県知事に進むことができる出世コースだった。
参考文献
編集- 内政史研究会「内政史研究資料第81~85集」<北村隆氏談話速記録>1970.02.18~03.25。
外部リンク
編集