北岡夢子 夢子の夢飛行
北岡夢子 夢子の夢飛行(きたおかゆめこ ゆめこのゆめひこう)は、1988年10月から1990年3月まで放送されていたラジオ番組。
北岡夢子 夢子の夢飛行 | |
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ジャンル | トークバラエティ番組 |
放送方式 | 録音 |
放送期間 | 1988年10月 - 1990年3月 |
放送時間 | #ネット局の節を参照 |
放送局 | #ネット局の節を参照 |
ネットワーク | #ネット局の節を参照 |
パーソナリティ | 北岡夢子 |
概要
編集本番組が始まった年の4月6日にシングル『憧憬』でデビューした北岡夢子のメインパーソナリティ番組。親局の出力が5kwである地方局のみで放送されていた『シンセン☆キラキラナイト』の月曜日で放送。キー局を持たない番組制作会社製作の番組だった。
芸名通り「夢」をテーマにした構成の番組で[1]、はがき採用者には全員にテレホンカード、シャープペンシル、ボールペン、ポスター、写真集などの「夢子グッズ」が贈られていた。ただ、何が贈られてくるかは届くまでわからないものだったという[1][2]。リスナー層は16〜17歳くらいの高校生男子が一番多く、女子からのはがきは2〜3割ほど。20代半ばの常連リスナーが2人ほどいたという[2]。
主なコーナー・企画
編集- 夢子先生の夢占い
- 夢・夢・クラブ
- どっかーん自爆コーナー
- リスナーからドジ話を募集して紹介[1]。
- 夢子の育児相談室
- 角出せ、槍出せ、頭出せ
- リスナーの頭に来たことのエピソードを募集、番組中でその憂さを晴らすコーナー。1989年6月頃スタート[3]。
- 夢子の占い専科
- 北岡商店寄せ鍋コーナー
- 色々なことに挑戦するという趣旨の元[5]、はがきの内容は何でもありで募集していたコーナー。1989年6月頃スタート[3]。このコーナーから新たなコーナーを作るという、その案も募集していた[6]。怪談を紹介する時は、怖い話が苦手な北岡が泣きながら読んだということがあった[4]。また、このコーナーのNG特集が組まれたことがあった[5]。
- 日本残酷物語
- 夢子のもっといじめて
- リスナーから、答えるのに困ってしまうような難しい問題・クイズを募集。1989年11月頃スタート[2][8]。このコーナー内で「夢子のものまねベスト5」の企画を作り、ものまねリクエストに応えていたこともあった[9]。
- おとぼけ流行物ニュース
- リスナーの身の周り、家庭や学校で流行っている出来事、事柄や言葉などを募集して紹介[2]。
- チャキチャキベスト5[2]
- 突然コール
ネット局
編集以下の局は全て月曜日の放送。なお『シンセン☆キラキラナイト』の枠外で、本番組を単独でネットしていた局は無かった[11]。その他、放送時間などの詳細はシンセン☆キラキラナイト#ネット局を参照。
脚注
編集- ^ a b c d e f 月刊ラジオパラダイス 1989年2月号「<特集>アイドルラジオ宣言!」p.5
- ^ a b c d e 月刊ラジオパラダイス 1989年12月号「<特集>なんてったってアイドルラジオ」p.17
- ^ a b c 月刊ラジオパラダイス 1989年7月号「R・P NEWSパレット アイドルプログラム・ニュース」p.64
- ^ a b 月刊ラジオパラダイス 1989年10月号「R・P NEWSパレット アイドルプログラム・ニュース」p.68
- ^ a b 月刊ラジオパラダイス 1989年11月号「R・P NEWSパレット アイドルプログラム・ニュース」p.68
- ^ 月刊ラジオパラダイス 1989年9月号「R・P NEWSパレット アイドルプログラム・ニュース」p.68
- ^ 月刊ラジオパラダイス 1989年8月号「R・P NEWSパレット アイドルプログラム・ニュース」p.66
- ^ a b 月刊ラジオパラダイス 1989年12月号「R・P NEWSパレット アイドルプログラム・ニュース」p.70
- ^ 月刊ラジオパラダイス 1989年2月号「R・P NEWSパレット アイドルプログラム・ニュース」p.68
- ^ 月刊ラジオパラダイス 1990年1月号「R・P NEWSパレット アイドルプログラム・ニュース」p.68
- ^ ラジオ新番組速報版(三才ブックス)1988年秋号 - 1989年秋号