北サルカール英語:Northern Sarkars)は、現在のアーンドラ・プラデーシュ州クリシュナ県東ゴーダーヴァリ県ヴィジャヤナガラム県西ゴーダーヴァリ県グントゥール県ヴィシャーカパトナム県プラカーシャム県シュリーカークラム県およびオリッサ州ガンジャム県ガジャパティ県に相当する、ベンガル湾沿いの地域のことを指す歴史的用語である。英語読みでは、北シルカルあるいは北サーカーズ(Northern Circars)となる。

北サルカールに相当する地域
アーンドラ地方における北サルカール(海岸部の諸県)

また、北サルカールはかつて、ラージャムンドリーグントゥールコンダパッリエールールチカコールの5に分けられていたため、北サルカール5郡とも呼ばれる。

歴史

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1471年デカンバフマニー朝が北サルカールを占領し、その分裂後はゴールコンダ王国の支配下となった。

1687年ムガル帝国アウラングゼーブにゴールコンダ王国が滅ぼされると、北サルカールも併合された。

1724年、ムガル帝国からニザーム王国が独立すると、北サルカールはその領土となった。

1753年11月23日サラーバト・ジャングフランス軍の駐留費として、フランスとアウランガーバード条約を結び、北サルカールを割譲した。

1765年8月16日イギリスの官吏ロバート・クライヴアラーハーバード条約により、ムガル帝国の皇帝シャー・アーラム2世から北サルカール地域の徴税権を獲得した[1]

これにより、1766年3月以降にイギリスはフランスの北サルカールを侵略し、同年11月12日ニザームから北サルカール5郡を正式に割譲された。

19世紀、北サルカールはマドラス管区の一部を形成するところとなり、1947年までその支配下に置かれた。

脚注

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  1. ^ Treaty of Allahabad

参考文献

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  • 辛島昇編 『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』 山川出版社、2007年

関連項目

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