勝川春山
?-1841, 江戸時代後期の浮世絵師。本姓は大関、俗名は文吉。
来歴
編集勝川春章の門人とされるが、実際には春章門下の勝川春英に絵の教えを受けたという。本姓は大関、俗名文吉。勝川を称して天明から寛政にかけて美人画などの錦絵を残した。春山の描く長身の美人画には春章の作風などとは異なり、鳥居清長の影響が強く見られる。一時期、寿香亭吉信の門人となり泉昌有と称したが、のちにまた春山の名に戻った。墓所はもと本郷丸山の本妙寺の子院妙雲院にあったが、妙雲院は本妙寺と合併し豊島区に移転している。法名は如是院皆悟日眼信士。
作品
編集脚注
編集参考文献
編集- 木村捨三 「勝川春山の代々」 『浮世絵芸術』第2号 日本浮世絵協会、1963年[7]
- 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年 ※54頁
- 田中達也 「泉守一(寿香亭目吉)(Ⅱ)」 『麻布美術館だより』第11号 麻布美術館、1986年
関連項目
編集- 勝川春山 (2代目) - 門人、娘婿。