加藤淳平
日本の外交官
略歴
編集岐阜県生まれ[1]。1955年東京大学教養学部教養学科卒業、外務省入省。フランスのポワティエ大学とトゥール大学で、フランス語とフランス哲学を学んだ後、パリの日本大使館勤務。その後エジプト大使館、ヨーロッパ共同体 (EC) 日本代表部、ベトナム大使館などの書記官として、外務省で主として経済協力局、官房調査部に勤務。その間、昭和天皇のフランス語通訳、外交官試験試験官。1975年以後は、国連日本代表部参事官、公使、国際協力事業団 (JICA) 企画部長と同時に、上智大学、早稲田大学等の非常勤講師を務める。1983年には、オマーン常駐の初代大使として、在オマーン日本国大使館を開設。帰国して、国際交流基金専務理事の後、パナマとベルギーの大使を務め、1994年退官。その後は、富士通などの顧問を務め、常磐大学国際学部教授。39年の外務省勤務の間、東京勤務と外国勤務は、ほぼ半々。外国勤務と東京勤務の間に、世界の120カ国に近い国々を訪問。大部分の国では、首都だけではなく、地方にも足を延ばす。経済協力のための視察等のため、観光地ではなく、通常外国人の行かない僻地も訪問した[2]。
著書
編集論文
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