加藤 幹郎(かとう みきろう、1957年1月23日[2] - 2020年9月26日)は、日本映画批評家映画学者。京都大学名誉教授日本映画学会初代会長(2005年 - 2012年)。

かとう みきろう

加藤 幹郎
生誕 1957年1月23日
日本の旗 日本 長崎県長崎市[1]
死没 (2020-09-26) 2020年9月26日(63歳没)
出身校 筑波大学比較文化学類卒業
筑波大学院博士課程文芸・言語研究科単位取得満期退学
職業 映画批評家映画学
肩書き 日本映画学会初代会長・顧問
京都大学名誉教授
任期 京都大学教養部助教授(1987年)
日本映画学会初代会長(2005年 - 2012年)
京都大学大学院人間・環境学研究科教授(2006年 - )
日本映画学会顧問(2012年 - )
受賞 1986年:日本英文学会新人賞/2001年:吉田秀和賞
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経歴

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長崎県長崎市生まれ。1981年筑波大学比較文化学類卒業。筑波大学院博士課程文芸・言語研究科単位取得満期退学。英文学者として出発。ジェイムズ・ジョイスに関する論文「Ulyssesの謎--第15挿話"Circe"を中心に」により第9回日本英文学会新人賞受賞[3]。1986年、帝京大学専任講師に着任。

その後、映画研究にシフト。1999年、京都大学より論題「古典的ハリウッド映画の構造と歴史:ジャンルの生成とヘイズ・コード」で、博士(人間・環境学)。

ミシガン大学客員教授、フルブライト客員研究員(カリフォルニア大学バークレー校カリフォルニア大学ロサンゼルス校ニューヨーク大学ハワイ大学マノア校)、京都大学総合人間学部助教授などを経て、2006年より京都大学大学院人間・環境学研究科教授[4]。2015年3月末に京都大学教授を早期退職し、のちに京都大学名誉教授

日本の映画研究および関連学会のあり方を刷新すべく、2005年、中心となって日本映画学会を設立し、初代会長(2005年 - 2012年)[5]、2012年からは顧問を務めた[6]

2020年9月26日12時42分、消化管出血のため福岡市の病院で死去[7][2]。63歳没。死没日をもって、従四位叙位、瑞宝小綬章追贈[8]

著書

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単著

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編著

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監修

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編集協力

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  • 『日本映画は生きている』(全8巻編集協力、2010年 - 2011年、岩波書店)ISBN 9784000283915

訳書

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  • スティーヴン・ヒース『セクシュアリティ 性のテロリズム』(共訳、1988年、勁草書房)ISBN 9784326650897
  • コリン・マッケイブ『ジェイムズ・ジョイスと言語革命』(1991年、筑摩書房)ISBN 9784480831095
  • タニア・モドゥレスキー『知りすぎた女たち ヒッチコック映画とフェミニズム』(共訳、1992年、青土社ISBN 9784791752232
  • スーザン・レイ編『わたしは邪魔された ニコラス・レイ映画講義録』(共訳、みすず書房、2001年)ISBN 9784622042686

日本版編集委員

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シンポジウム

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  • FUTURE CINEMA─来たるべき時代の映像表現に向けて シンポジウム「意識と感覚のプロジェクション─映像表現の諸相」[9]

論文

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  • 「加藤幹郎」の論文検索結果[10]

脚注

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  1. ^ 加藤幹郎氏死去、京都大名誉教授 映画学”. 京都新聞. 2020年9月30日閲覧。
  2. ^ a b 『現代物故者事典2018~2020』(日外アソシエーツ、2021年)p.152
  3. ^ 日本英文学会(公式サイト)「日本英文学会新人賞歴代受賞論文一覧」
  4. ^ 加藤幹郎researchmap”. 2020年10月7日閲覧。
  5. ^ 日本映画学会(公式サイト)「本会について 役員一覧」
  6. ^ 日本映画学会公式サイト”. ICC Online. 2014年4月19日閲覧。
  7. ^ 加藤幹郎氏死去、京都大名誉教授 映画学”. 京都新聞. 2020年9月30日閲覧。
  8. ^ 『官報』第367号11頁 令和2年11月5日号
  9. ^ シンポジウム「意識と感覚のプロジェクション─映像表現の諸相」”. ICC Online. 2014年4月13日閲覧。
  10. ^ 「加藤幹郎」の論文検索結果”. 論文relation. 2014年4月13日閲覧。

外部リンク

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