加藤嘉矩
日本の江戸時代中期の大名。近江水口藩世嗣加藤明治長男で、下野壬生藩初代藩主加藤明英養子。壬生藩2代藩主及び近江水口藩初代藩主。従五位下和泉守。嘉明流加藤氏5代当主
加藤 嘉矩(かとう よしのり)は、下野壬生藩の第2代藩主、近江水口藩の初代藩主。水口藩加藤家5代。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄6年10月21日(1693年11月18日) |
死没 | 享保9年9月9日(1724年10月25日) |
別名 | 左膳(幼名)→嘉矩 |
官位 | 従五位下、和泉守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家宣→家継→吉宗 |
藩 | 下野壬生藩主→近江水口藩主 |
氏族 | 加藤氏 |
父母 |
父:加藤明治 母:松平信通の養女(松平忠栄の娘) 養父:加藤明英 |
兄弟 | 嘉矩、明喬 |
妻 | 正室:松浦棟の養女(秋月種封の娘) |
子 | 明経、娘(堀親蔵正室のち永井直陳継室) |
生涯
編集元禄6年(1693年)10月21日、近江水口藩主加藤明友の三男・明治の長男として生まれる。明治は兄で明友の跡を継いだ明英(元禄8年(1695年)に水口から壬生へ転封となる)の養子となったが、家督相続前の正徳元年(1711年)12月2日に早世し、翌年に明英も死去したため、嘉矩が跡を継ぐこととなった。
同年6月26日に近江水口に転封され、12月に叙任される。享保9年(1724年)9月9日に死去。享年32。跡を長男の明経が継いだ。
系譜
編集父母
正室
子女
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