加地 健三郎(かち けんさぶろう、1921年 - 没年不明)は、大阪府[1]出身のプロ野球選手。右投右打で、ポジションは二塁手三塁手遊撃手

加地 健三郎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府
生年月日 1921年
没年月日 没年不明
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手三塁手遊撃手
プロ入り 1940年
初出場 1940年3月25日
最終出場 1940年12月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物

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京阪商業学校(現:大阪府立芦間高等学校)時代には春1回(1938年)、夏2回(1938年1939年)甲子園に出場した。京阪商業時代のチームメイトに宮口美吉深尾文彦(2人とものち南海軍)、乾国雄(のち阪神軍)がいる。

1940年3月15日ライオン軍と契約し入団。二塁、三塁、遊撃を守ることができるユーティリティープレイヤーとして活躍した。打率は低かったが勝負強い打撃で8打点をマークした。同年末にライオン軍を退団。

それから10年後の1950年読売ジャイアンツに復帰。しかし、年齢的に峠を過ぎていたこともあって、全く出場機会がないまま同年末に現役引退した。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1940 ライオン 56 154 130 10 22 1 1 0 25 8 0 -- 2 1 21 -- 0 32 -- .169 .283 .192 .475
通算:1年 56 154 130 10 22 1 1 0 25 8 0 -- 2 1 21 -- 0 32 -- .169 .283 .192 .475

背番号

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  • 20 (1940年)
  • 27 (1950年)

脚注

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  1. ^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、147ページ

関連項目

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外部リンク

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