加々美武夫
加々美 武夫(かがみ たけお、1890年(明治23年)8月9日[1] - 1936年(昭和11年)9月18日[1])は、日本の内務官僚・政治家である。第8代大阪市長。従五位。
来歴
編集山梨県東山梨郡西保村北原(現在の山梨市)に生まれる。明治41年(1908年)に旧制海城中学校、明治45年(1912年)7月に東京高等商業学校(後の一橋大学)を卒業。その後、大正4年(1915年)7月に京都帝国大学法学部を卒業し、同年10月高等文官試験に合格し、警視庁警部に任官、大正5年(1916年)7月に警視庁警視、保安課長、大正6年(1917年)9月に小石川大塚警察署長、大正7年(1918年)7月に赤坂表町警察署長、大正8年(1919年)8月に大阪府警視、特別高等課長、大正11年(1922年)5月に京都府理事官、内務部社会課長、同年10月に内務省警保局の内務事務官となりシベリア出張、大正12年(1923年)9月に中国出張、大正13年(1924年)1月に内務省内務書記官、關一大阪市長時代の同年1月12日に大阪市助役、昭和10年(1935年)2月12日に第8代大阪市長となり、病気のため辞任した昭和11年(1936年)7月20日まで務めている。墓所は多磨霊園。
年譜
編集脚注
編集関連書籍
編集- 『月の石 都市復権にかけた中馬馨命の軌跡 上巻』(黒田隆幸著)ISBN 4496031884
- 加々美武夫に関する項がある。