劉長卿
略歴
編集玄宗皇帝の天宝年間(742年 - 756年)の前後に生存したと思われる。開元21年(733年)に進士となる。至徳元載(756年)に監察御史となり、ついで転運使判官になった。この後、讒言する者があり姑蘇の獄につながれたが、許されて睦州の司馬として左遷され、随州の刺史で終わった。性剛直で権勢家に逆らうことが多かったという。詩文に長じ、権徳輿に「五言の長城」と称せられた。龍門八詠は古詩の傑作とされ、『唐詩選』には平蕃曲などを収める。劉長卿集10巻がある。
詩
編集過鄭山人所居 | |
寂寂孤鶯啼杏園 | 寂々として孤鶯、杏園に啼き |
寥寥一犬吠桃源 | 寥々たる一犬、桃源に吠ゆ |
落華芳草無尋處 | 落華芳草、尋ぬる処無し |
萬壑千峯獨閉門 | 万壑千峯(ばんがくせんぽう)ひとり門を閉ざす |
逢雪宿芙蓉山 | |
日暮蒼山遠 | 日暮れて蒼山遠し |
天寒白屋貧 | 天寒くして白屋貧なり |
柴門聞犬吠 | 柴門で犬吠ゆるを聞く |
風雪夜歸人 | 風雪夜帰の人 |
送張扈司直帰越中 | |
時危身赴敵 | 時危ければ身は敵に赴く |
事往任浮沈 | 事さりて浮沈に任す |
萬里三江去 | 万里三江に去る |
當時百戦心 | 当時百戦の心 |
春風呉渚緑 | 春風呉渚の緑にして |
古木剡山深 | 古木に剡山(せんざん)深し |
明日滄洲路 | 明日の滄洲の路は |
孤舟不可尋 | 孤舟尋ぬべからず |