劉賈
姓名 | 劉賈 |
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時代 | 前漢時代 |
生没年 | 生年不詳 - 前196年(漢太祖11年) |
字・別号 | 〔不詳〕 |
本貫・出身地等 | 沛県豊邑中陽里 |
職官 | 将軍〔前漢〕 |
爵位・号等 | 荊王〔前漢〕 |
陣営・所属等 | 劉邦 |
家族・一族 | 一族:劉太公〔従父〕 劉伯〔従兄弟〕 |
劉 賈(りゅう か、? - 紀元前196年)は、秦末から前漢初期にかけての武将。劉邦(高祖)の従兄弟。荊王に封じられた。
略歴
編集楚漢戦争期に、盧綰と共に昌邑で彭越に合流した。間もなく彭越の指示で楚軍の補給基地を襲撃し、成功している。また、項羽配下の大司馬の周殷を説得し、帰順させて漢軍に加えた。
紀元前201年、韓信が謀反の罪で失脚した後、劉邦はその領土を南北に分割し、南部を荊国、北部を楚国と定めた。そして劉賈を荊王に、劉邦の異母弟の劉交を楚王に封じた。
紀元前196年秋、淮南王英布が反乱を起こした際に、軍勢を率いてこれと交戦し、敗死した。彼には嗣子がなかったため、英布討伐に参戦した従子の劉濞が呉王に封じられて、劉賈の後を継ぐ形となった。