劉 茂(りゅう も/りゅう ぼう、生没年不詳)は、三国時代の魏の政治家・武将。彭城郡彭城県叢亭里の人。後漢の劉愷の末裔とされ、東晋の侍中の劉隗の祖にあたる[1]。一族に帯方太守劉夏など[1]。
正始年間に楽浪太守となった。
正始6年(245年)、帯方太守弓遵とともに高句麗の支配下に入った濊を討伐した。間もなく濊の首長の不耐侯らは配下の邑落を挙げて、劉茂に降伏した。
正始8年(247年)に不耐侯は魏に朝貢して、勅命で不耐濊王に封じられた。