劉懿
山陽王
劉 懿(りゅう い、生没年不詳)は、後漢の皇族。
生涯
編集献帝の子。生母は不詳。建安17年9月21日(212年11月2日)、兄弟の劉熙・劉邈・劉敦と同時に献帝より山陽王に封じられた[1][2][3]。
漢に代わって魏が成立した黄初元年11月1日(220年12月13日)、他の兄弟3人と共に文帝より列侯に封じられた[4]。その後の劉懿は史書の中には名が見られず、没年も不詳である。
出典
編集- ^ (中国語)『『後漢書』巻九 孝献帝紀 第九』。ウィキソースより閲覧。
- ^ (中国語)『『三国志』巻三十八 蜀書八 許糜孫簡伊秦伝』。ウィキソースより閲覧。
- ^ (中国語)『『資治通鑑』巻六十六 漢紀五十八』。ウィキソースより閲覧。
- ^ (中国語)『『三国志』巻二 魏書二 文帝紀』。ウィキソースより閲覧。