前田勇 (陸軍軍人)
前田 勇(まえだ いさむ、1879年(明治12年)1月23日[1] - 1967年(昭和42年)12月22日[1][2])は、明治後期から昭和前期の陸軍軍人、政治家、華族。最終階級は陸軍大佐。貴族院男爵議員。
前田 勇 まえだ いさむ | |
---|---|
| |
生年月日 | 1879年1月23日 |
没年月日 | 1967年12月22日(88歳没) |
所属政党 | 公正会 |
称号 |
陸軍大佐 男爵 |
子女 | 三男・前田正男(元科学技術庁長官) |
親族 | 孫・前田武志(元国土交通大臣) |
貴族院議員 | |
選挙区 | 貴族院男爵議員 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1937年1月16日 - 1946年4月15日 |
経歴
編集生い立ち
編集加藤謙治の三男として生まれ、陸軍中将である前田隆礼の娘婿として養嗣子となる[1]。1900年(明治33年)11月21日、陸軍士官学校(12期)を卒業[3]。翌年6月25日、歩兵少尉に任官した[4]。1907年(明治40年)10月2日、養父の功により男爵を叙爵した[1][5][6]。
軍歴
編集歩兵第68連隊中隊長、歩兵第57連隊大隊長、第1師団副官、関東軍副官、盛岡連隊区司令官などを歴任[2][5]。1924年(大正13年)、歩兵大佐に昇進[2][5]。その後、第16師団司令部付となり京都府立医科大学配属将校となった[5]。1928年(昭和3年)、予備役に編入された[2][5]。
政界歴
編集1937年(昭和12年)1月16日、貴族院男爵議員補欠選挙で貴族院議員に選出された[7]。1939年(昭和14年)7月10日に第8回貴族院男爵議員選挙で貴族院議員に連続当選を果たした[8]。貴族院では公正会に属した[2]。1946年(昭和21年)4月15日、貴族院議員を辞職した[9][10]。また、岡本工業顧問を勤めた[2][5]。
栄典
編集- 位階
- 勲章等
親族
編集脚注
編集- ^ a b c d e 『平成新修旧華族家系大成』下巻、544頁。
- ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』84頁。
- ^ 『官報』第5220号、明治33年11月24日。
- ^ 『官報』第5393号、明治34年6月26日。
- ^ a b c d e f 『華族総覧』309頁。
- ^ 『官報』第7280号、明治40年10月3日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、45頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、48頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、55頁。
- ^ 『官報』第5795号、昭和21年5月13日。
- ^ 『官報』第5484号「叙任及辞令」1901年10月11日。
- ^ 『官報』第386号「叙任及辞令」1913年11月11日。
- ^ 『官報』第539号「叙任及辞令」1928年10月10日。
- ^ 『官報』第7280号「叙任及辞令」1907年10月3日。
- ^ 『華族総覧』309-310頁。
- ^ a b 『華族総覧』310頁。
参考文献
編集- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会編『平成新修旧華族家系大成』下巻、社団法人霞会館、1996年。
- 千田稔『華族総覧』講談社〈講談社現代新書〉、2009年。
日本の爵位 | ||
---|---|---|
先代 (叙爵) |
男爵 前田(隆礼)家初代 1907年 - 1947年 |
次代 (華族制度廃止) |