前田利広
日本の江戸時代前期~中期の大名。上野七日市藩2代藩主前田利意長男で、七日市藩3代藩主。従五位下右近大夫
前田 利広(まえだ としひろ)は、上野国七日市藩の第3代藩主。七日市藩前田家3代。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 正保2年9月19日(1645年11月7日) |
死没 | 元禄6年7月9日(1693年8月10日) |
改名 | 宮内(通称) |
戒名 | 鶴性院殿然山宗廊大居士 |
墓所 | 群馬県富岡市の長学寺 |
官位 | 従五位下右近大夫 |
主君 | 徳川綱吉 |
藩 | 上野国七日市藩主 |
氏族 | 菅原姓前田氏 |
父母 | 父:前田利意 |
兄弟 | 利広、主殿、九八郎、孝興、孝興、誠明、上田元休、孝教、福島定正、孝效、麻(山田勘兵衛某室)、恭(前田綱紀養女、長尚連室)、娘(品川伊兵衛某室)、娘(畠山義寧正室)、長(前田孝始室) |
妻 | 正室:三浦安次の娘 |
子 | 利慶(長男)、利英(次男) |
略歴
編集第2代藩主・前田利意の長男。
正保2年(1645年)9月19日、七日市で生まれる。貞享2年(1685年)、父の死去により家督を継ぎ、藩主となる。元禄元年(1688年)、大坂御加番代を務めた。元禄6年(1693年)7月9日、49歳で死去し、跡を長男の利慶が継いだ。
『土芥寇讎記』に拠れば、女性に溺れることもなく、「善ありて悪なし」の「誉の将」とされている。その評価は「父親と比べて抜群に良い」「父親と違って浪費しない」とされている。
系譜
編集父母
- 前田利意(父)
正室
- 三浦安次の娘
子女