大分県立別府翔青高等学校
大分県立別府翔青高等学校(おおいたけんりつ べっぷしょうせいこうとうがっこう)は、大分県別府市野口原に所在する公立の高等学校。
大分県立別府翔青高等学校 | |
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北緯33度17分15.1秒 東経131度29分10.1秒 / 北緯33.287528度 東経131.486139度座標: 北緯33度17分15.1秒 東経131度29分10.1秒 / 北緯33.287528度 東経131.486139度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大分県 |
併合学校 |
大分県立別府青山高等学校 大分県立別府羽室台高等学校 別府市立別府商業高等学校 |
校訓 | 自主誠心 進取創心 |
設立年月日 | 2015年4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 単位制 |
設置学科 |
普通科 商業科 グローバルコミュニケーション科 |
学科内専門コース | アドバンストクラス、国立理系、国立文系、私立文系、私立理系、看護系 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D144210000380 |
高校コード | 44166A |
所在地 | 〒874-0903 |
大分県別府市野口原3088の91 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大分県立別府青山高等学校、大分県立別府羽室台高等学校、別府市立別府商業高等学校の3校を統合して、2015年4月に開校した高校。統合後の校舎は別府青山高校及び、隣接した別府商業高校の敷地に設けられた。
概観
編集設置学科
編集沿革
編集略歴
編集2008年1月9日に大分県教育委員会が公表した高校改革推進計画の「後期再編整備計画」検討素案では別府青山高校と別府羽室台高校の2校を統合する案が示された[1]。しかし、別府商業高校の単独での存続を危ぶんだ別府市が、同校を県立に移管した上で、これら2校と統合する意向を示したため、同年8月27日に県教委が決定した最終案では3校で統合を行うこととされた[2][3]。
校名
編集「別府翔青」「別府総合」「別府希望ケ丘」の3案から選定された。「翔青」の「翔」には「羽室台」の「羽」が含まれるとともに、読みは「別府商業」の「商」と同じであり、「青」は「青山」のうちの1字で、統合される3校にゆかりのある名称である[4][5]。
年表
編集象徴
編集校章
編集- デザイン - 奥野和夫(グラフィックデザイナー)
- 別府市の頭文字の「B」を図案化して翼とし、3枚の翼で統合する3校の融和を表している。全体は青色を基調とし、中心の「高」の字には別府市の市花ツツジ科オオムラサキのピンク色を用いている[9]。
校歌
編集- 作詞・作曲 - 青島広志(作曲家/ピアニスト)
乙女の像
編集1989年2月2日、津名港(淡路島)の防波堤に共同汽船の高速船が激突し、2名が死亡する事故が発生。犠牲者のひとりは、兵庫県にある専門学校の受験を終えて乗船していた別府青山高校の女子生徒であった。この銅像は、教員らの事故への対応に感謝した両親による学校への寄付をもとに、事故で亡くなった少女をモデルとして、1991年11月に建立された。その後、学校統合や年月の経過により、銅像は汚れて、謂われも不確かになりつつあった。2019年、当校に赴任した美術教員が汚れに気付いて銅像の清掃を提案し、教頭の調査により経緯が明らかになった。2020年、教員と生徒による清掃が終了し、亡くなった女子生徒の両親を招いて追悼式典が催された[10][11][12]。
脚注
編集- ^ 県教委 後期高校再編素案を発表 大分合同新聞、2008年1月10日
- ^ a b “由布高、中高一貫で一転「存続」”. 2008年8月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年9月9日閲覧。 - 大分合同新聞、2008年8月28日
- ^ 高校改革推進計画 後期再編整備計画 [平成22〜27年度] 〜特色・魅力・活力ある学校づくりに向けて〜 (PDF) 2008年8月27日、大分県教育委員会
- ^ 統合高校名決まる 「別府翔青」と「玖珠美山」 読売新聞、2014年7月30日
- ^ 玖珠美山 別府翔青 新設2高校の名称案 大分合同新聞、2014年7月30日
- ^ 新設高校開校準備室便り No.1 (PDF) 別府地域新設高校開校準備室、2014年4月30日
- ^ 別府地域新設高等学校の校名候補等について 大分県教育庁高校教育課、2015年7月29日
- ^ 新たな歴史刻む 別府翔青高で開校式と入学式 大分合同新聞、2015年4月9日
- ^ 校章について 大分県立別府翔青高等学校
- ^ “「乙女の像」輝き戻る 別府翔青高生が清掃、いわれ知る”. 大分合同新聞. (2020年1月24日)
- ^ “忘れられた「乙女の像」 受験帰り事故死の女子生徒に光”. 朝日新聞. (2020年1月30日)
- ^ “なぜ建立? 高校の「乙女の像」 歴史をたどって見えた女子生徒の悲話”. 西日本新聞. (2020年2月2日)