出水弥太郎
出水 弥太郎(彌太郎、でみず やたろう、1849年8月12日(嘉永2年6月24日[1]) - 1914年(大正3年)8月7日[2])は、日本の実業家。政治家、衆議院議員(2期)。
経歴
編集河内国丹南郡平尾村(のち大阪府南河内郡平尾村→美原町、現、堺市美原区)に生まれる[1]。漢学を修める[1][2]。平尾村戸長、堺県第一大区小三区出納役、七連合村戸長、石川外六郡役書記となる[1]。また、河陽鉄道、大阪馬車鉄道、河内煉瓦各(株)社長[1][2]、黒山銀行、大阪農工銀行各頭取を務め[2]、日本赤十字社正社員となった[1]。
1892年の第2回衆議院議員総選挙において大阪7区から立候補したが落選[3]。1894年の第3回衆議院議員総選挙では国民協会から立候補したが落選[4]。1898年3月の第5回衆議院議員総選挙で初当選[5]。同年8月の第6回衆議院議員総選挙で再選を果たした[6]。1902年の第7回衆議院議員総選挙では大阪府郡部から出馬したが落選した[7]。1914年死去。
脚注
編集参考文献
編集- 『衆議院議員列伝』山崎謙編、衆議院議員列伝発行所、1901年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。