出口康夫

日本の哲学者 (1962-)

出口 康夫(でぐち やすお、1962年 - )は、日本哲学者京都大学大学院文学研究科教授ならびに京都哲学研究所共同代表理事[1]

出口 康夫
時代 現代
地域 日本
出身校 京都大学
研究機関 京都大学、京都哲学研究所
研究分野 カント哲学、確率論・統計学の哲学、科学的実在論、東アジア仏教思想、道元思想、京都学派の哲学、自己論
主な概念 われわれとしての自己(Self-as-We)、根源的できなさ、WEターン、中空、フェローシップモデル、共冒険者、反ディスポーザル権、価値提案としての哲学、価値多層社会
公式サイト https://www.philosophy.bun.kyoto-u.ac.jp/staff/deguchi/
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近現代西洋哲学、分析アジア哲学を専門に研究を行っており、特にカント哲学、確率論・統計学の哲学、科学的実在論、東アジア仏教思想、道元思想、京都学派の哲学、自己論などに取り組んでいる[2]

近年は「できなさ」に基づいた⼈間観・社会観として“Self-as-We”(われわれとしての⾃⼰)を提唱しNTTや日立京大ラボをはじめとした産業界との共同研究にも従事している[2]

略歴

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大阪市生まれ。京都大学文学部卒、同大学院文学研究科博士後期課程修了。1996年「超越論的実在論の試み-批判期カント存在論の検討をつうじて」で文学博士の学位を取得。名古屋工業大学助教授、2002年京都大学大学院文学研究科哲学専修助教授、2007年准教授、2016年教授。2023年4月より、京都大学文学研究科長および文学部長(2025年3月末まで)[3]

2023年7月、NTTと共同で一般社団法人京都哲学研究所(Kyoto Institute of Philosophy)」を設立した[4][5]。京都哲学研究所においては、NTT会長の澤田純氏と共に共同代表理事を務めている。

研究内容

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研究分野は、確率論統計学の哲学、科学的実在論シミュレーション科学・カオス研究の哲学、カントの数学論、スコーレムの数学思想、分析アジア哲学など多岐にわたる[6]。日本における応用哲学英語版の創始者の一人でもある[7]。近年では、東アジアにおける哲学的遺産を現代哲学の舞台に再現役化する試みとして、東洋的な自己観をベースに「われわれとしての自己(Self-as-We)」という構想を提唱している[6]

2019年11月より、NTTとの共同研究でIOWN時代について提言しており[8]、2020年4月からは、ウィズコロナ時代についても提言している[9][8]

価値提案としての哲学

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出口は哲学を「価値提案の学問」としている。

「あるべき関係を問う」とは、単に「事実」を記述したり説明したり予測したりするのではなく、「事実」にもとづいて新たな「価値」を提案する営みです。それは、事実の記述・説明・予測をする「科学」ではなく、価値の提案の試みとしての「哲学」の企てなのです。[10]

出口が共同代表理事を務めている京都哲学研究所の設立趣意は次のように述べている。

20世紀が「科学技術と経済の世紀」 だったとすれば、21世紀は「価値の世紀」である。

科学技術の進展と経済的繁栄が、必ずしも人々のウェルビーイングや世界の平和に直結しないことが明らかとなった今日、改めて「本当の幸せとは何か」、「目指すべき価値とは何か」が問われているのである。

また、ますます多元化する世界を前にして、このような「価値をめぐる問い」には唯一の正解がありえないことにも、我々は気づきつつある。

さらに「個人の同一性(アイデンティティ)」や「社会の単一性(ユニフォーミティ)」が単なる「神話」にすぎないことが暴かれたことを受け、複数の価値が層をなして積み重なっている「価値多層社会」の実現も切実に求められている。

このような状況を前に、「価値の提案の学」としての哲学、ひいては社会に積極的に関与する人文学、すなわち「エンゲージング・ヒューマニティ」の再興が、今こそ求められている。[11]

「われわれとしての自己(Self-as-We)」

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出口は自らが掲げる「価値提案としての哲学」の実践として、「われわれとしての自己(Self-as-We)」という脱個人主義的自己観、並びにそれを起点とした社会ビジョンの転換であるWeターンを提唱している。出口にいうところでは、「われわれとしての自己」は、全体論性(holistic)、身体的(embodied)、不二性(nondual)という東アジアの「真の自己」の哲学を現代哲学において再構成することを目指したものである[12]

「われわれとしての自己」とは、自己とは「私(I)」ではなく、「われわれ(We)」と呼ぶべきマルチエージェントシステムであるというテーゼである。ここでいうマルチエージェントシステムとは、「私」がなす行為を可能にしている多様なエージェントの集合体を意味する。

「わたし」の自転車乗りという行為には、多くの人々、生物、無生物、自然環境、生態系、社会システム、歴史上の出来事といった多種多様のエージェントが関わっているのです。そして、それらの支え、助け、アフォードがなければ、「わたし」の自転車乗りという行為は遂行できないのです。  言い換えると、これら多種多様で無数のエージェントからなるシステム -これを「マルチエージェントシステム」と呼びましょう-がなければ、自転車乗りという行為は成立しないのです。[13]

「根源的できなさ」

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「われわれとしての自己」の導出上の論拠は出口が「根源的できなさ」と呼ぶテーゼである。出口によれば、西洋哲学の歴史においては、人間は何かができる存在として捉えられ、その「できること」にこそ人間の尊さやかけがえのなさが求められてきたとされる。これに対して、出口によれば、東洋においては、人間は一人では何もできないからこそ尊いという「できなさ」に基づいた人間観の伝統があることを指摘する。

[…]東アジアには、「できる」人間ではなく、むしろ「できない」人間、無能な人を理想とする「聖なる愚者」とでも呼べる思想伝統があります。例としては、老子の「混沌たる愚者」、法華経の「常不軽菩薩」、宮沢賢治の「デグノボー」などがあげられます。[14]


出口は東アジアの思想伝統を受け継ぎ、現実の世界において行為する存在者の根底に「できなさ」が不可避的に存在することを「根源的できなさ」と呼んでいる。出口はこの根源的できなさは「いかなる行為も自分一人ではできない」という単独行為不可能性のテーゼおよび「自らの行為を支えてくれるエージェントのどれ一つとして私は完全にコントロールすることはできない」という完全制御不可能性のテーゼと呼んでいる。

その他の研究活動

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2020年10月24日、京都大学の学術シンポジウム緊縛ニューウェーブ×アジア人文学」を主催した[15][16]。同シンポジウムは、「性的な文脈で捉えられてきた緊縛について、その歴史や近年の国内外での受容の広がりを踏まえて現代アートとしての側面から再考する」ことを趣旨として開催され、600人超が参加、アーカイブ動画が約59万回視聴されるほどの盛況を収めた[15]

しかしその後、「これは学問か」というクレームが1件寄せられたため、同年11月5日に動画削除を行い、ホームページにて「シンポジウムの動画の一部について不愉快と感じられた方には申し訳ございません」という謝罪文を掲載した[15]。また、シンポジウム内容の研究倫理上の問題も指摘され、主催者としての責任を問われた[17]。2021年10月1日には日本倫理学会で本シンポジウムの研究倫理をテーマにしたワークショップが開催され出席[18][19]、2021年12月29日に改めて謝罪した[19][20]

著書

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単著

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共編

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翻訳

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  • (共訳)イアン・ハッキング『何が社会的に構成されるのか』久米暁共訳、岩波書店、2006
  • (共訳)イアン・ハッキング『知の歴史学』大西琢朗、渡辺一弘共訳、岩波書店、2012
  • (監訳)デイヴィッド・ルイス『世界の複数性について』 佐金武・小山虎・海田大輔・山口尚共訳、名古屋大学出版会、2016

論文

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脚注

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  1. ^ 京都哲学研究所ウェブサイト”. 2024年1月17日閲覧。
  2. ^ a b 京都大学大学院文学研究科 哲学研究室 出口康夫”. 京都大学文学研究科哲学研究室. 2024年1月17日閲覧。
  3. ^ 次期文学研究科長および文学部長に出口教授を選出しました”. 京都大学. 2024年7月20日閲覧。
  4. ^ 価値多層社会の実現に必要な哲学思想の構築を目指し一般社団法人 京都哲学研究所を設立 | ニュースリリース | NTT”. group.ntt. 2023年7月19日閲覧。
  5. ^ NTT、「京都哲学研究所」設立 AI時代の思想構築”. 日本経済新聞 (2023年7月18日). 2023年7月19日閲覧。
  6. ^ a b 隔月刊行 ふるえ Vol.27 ソーシャル・ハプティクス 生きるために必要なこと”. furue.ilab.ntt.co.jp. NTT研究所. 2022年11月16日閲覧。
  7. ^ 河原 2022, p. 82.
  8. ^ a b Withコロナ時代の個人と社会の在り方を捉える性格特性尺度を京大・NTTの文理融合型共創により創出~東洋的自己の哲学「われわれとしての自己観」を社会へつなぐためのICT化に向けた尺度の開発とコロナ禍での「わたし」と「われわれ」の関係性の探究~ | ニュースリリース | NTT”. group.ntt. 2023年7月19日閲覧。
  9. ^ 「できない」が基軸の社会へ 出口康夫さんが語る未来:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2020年10月14日). 2023年7月19日閲覧。
  10. ^ 『AI親友論』徳間書店、2023年、3頁。 
  11. ^ Kyoto Institute of Philosophy”. k-philo.org. 2024年8月12日閲覧。
  12. ^ 京都大学人と社会の未来研究院 (2020-07-25), 【第3回】出口康夫教授「⾃⼰とは何か:「われわれとしての⾃⼰」とアフターコロナ」#哲学, https://www.youtube.com/watch?v=N9FWNLyUcug 2024年8月11日閲覧。 
  13. ^ 『AI親友論』徳間書店、2023年、27頁。 
  14. ^ 『AI親友論』徳間書店、2023年、24頁。 
  15. ^ a b c 「緊縛」シンポ、京大が動画公開中止して謝罪 批判受け:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2020年11月13日). 2022年11月16日閲覧。
  16. ^ 河原 2022, p. 69.
  17. ^ 河原 2022, p. 72.
  18. ^ 小西真理子「「〈応用〉することの倫理 : 緊縛シンポ、ブルーフィルム、ジェンダー」の特集にあたって」『臨床哲学ニューズレター』第4号、大阪大学大学院文学研究科臨床哲学研究室、2022年3月1日。doi:10.18910/86362https://doi.org/10.18910/86362 55頁。
  19. ^ a b 河原 2022, p. 84.
  20. ^ 出口康夫 (2021年12月29日). “謝罪:緊縛シンポジウムについて”. 緊縛哲学研究会. 2022年11月16日閲覧。

参考文献

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外部リンク

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