円子 宏(まるこ ひろし、1933年3月22日 - 1998年6月9日)は、岩手県出身の元プロ野球選手投手)。東都大学野球連盟やプロ野球関連の資料では旧字体の圓子 宏と表記されることが多い。

円子 宏 (圓子 宏)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岩手県
生年月日 (1933-03-22) 1933年3月22日
没年月日 (1998-06-09) 1998年6月9日(65歳没)
身長
体重
177 cm
69 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1955年
初出場 1955年
最終出場 1958年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴
  • 三重交通

来歴・人物

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岩手高校から東京農業大学へ進学。東都大学野球リーグでは専大日大など伝統校の壁を破れず、在学中4位以下に沈む。リーグ通算85試合登板で23勝44敗をマークするが、44敗はリーグ記録である。3年次の1953年秋季リーグで記録した83奪三振は、1990年春季リーグで111奪三振を記録した亜大小池秀郎に抜かれるまで、長らくリーグ歴代1位の記録であった。

卒業後の1955年南海ホークスへ入団。1年目の同年は速いシュートと鋭いカーブを武器に、5月中旬から先発陣の一角に入る。48試合に登板して12勝を挙げ[1]、2年ぶりのリーグ優勝に貢献。巨人との日本シリーズでは第5戦に宅和本司をリリーフして登板したが、2年目の1956年以降は登板機会が減少、1958年限りで退団。

退団後は三重交通に入社し、服部力監督の下でプレー。現役引退後には同チームの監督を務め、東田正義を送り出した。

1998年6月9日肺癌のため死去。65歳没。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1955 南海 48 17 1 0 0 12 5 -- -- .706 663 168.1 137 5 48 4 1 90 4 0 50 44 2.34 1.10
1956 13 2 0 0 0 2 1 -- -- .667 174 40.1 44 1 11 2 1 10 0 0 23 17 3.73 1.36
1957 9 5 0 0 0 3 0 -- -- 1.000 126 30.2 28 2 10 0 0 12 0 0 10 8 2.32 1.24
1958 7 4 0 0 0 1 0 -- -- 1.000 70 16.1 17 1 5 0 0 6 1 0 7 6 3.18 1.35
通算:4年 77 28 1 0 0 18 6 -- -- .750 1033 255.2 226 9 74 6 2 118 5 0 90 75 2.64 1.17

背番号

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  • 13 (1955年 - 1957年)
  • 6 (1958年)

脚注

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  1. ^ “ホークスの歩み(1955年)”. 福岡ソフトバンクホークス. https://www.softbankhawks.co.jp/ocms/pc/team/history/vol05.html 2020年4月1日閲覧。 

関連項目

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