内藤正一 (陸軍軍人)
日本の陸軍軍人
内藤 正一(ないとう しょういち、1887年(明治20年)5月12日[1] - 1939年(昭和14年)11月28日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級
内藤 正一 | |
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生誕 |
1887年5月21日 日本 愛知県 |
死没 | 1939年11月28日(52歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1906年 - 1939年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集1887年(明治20年)に愛知県で生まれた[1]。陸軍士官学校第18期、陸軍大学校第30期卒業[1]。1930年(昭和5年)8月1日に陸軍騎兵大佐進級と同時に陸軍騎兵学校附となり[2]、12月22日に騎兵第16連隊長に転じた[2]。1932年(昭和7年)に第20師団司令部附となり、京城帝国大学に配属された[2]。1933年(昭和8年)に騎兵監部部員に転じた[2]。
1935年(昭和10年)8月に陸軍少将に進級し、騎兵監部附となった[1]。1936年(昭和11年)に騎兵第2旅団長に就任し[1]、1937年(昭和12年)3月に陸軍大学校幹事[1]、12月に騎兵集団長を歴任した[1]。1938年(昭和13年)に陸軍中将に進級し、1939年(昭和14年)1月7日に第11師団長(関東軍・第5軍)に親補されたが[1]、11月28日に殉職した[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。