内藤ジュリア
内藤 ジュリア(ないとう ジュリア、永禄9年(1566年)頃 - 寛永4年2月11日(1627年3月28日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての女性、キリシタン[1]。
内藤 ジュリア | |
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生誕 | 永禄9年(1566年)頃 |
洗礼 | ジュリア |
死没 |
寛永4年(1627年)2月11日 マニラ |
著名な実績 | 京都で、日本初の女子修道会「ベアタス会」を創立した |
親 | 父:松永長頼、母:内藤国貞の娘 |
家族 | 兄:内藤如安 |
生涯
編集父は松永長頼、母は内藤国貞の娘。兄に内藤如安。夫は丹波の国人という。1587年に夫は死去したという。一度は仏門に入ったものの、慶長元年(1596年)頃、洗礼を受け、ジュリアと名乗る[1]。大名夫人たちへの布教活動を行い、主な人物としては豪姫を改宗させた[2]。慶長11年(1606年)に日本で初めての女子修道会ベアタス会を京都に設立する[2]。
慶長19年(1614年)、禁教政策により兄・如安や高山右近らと共に呂栄(ルソン島)に追放される。配流後も日本女性13人と聖ミカエル会(旧・修道女会)を結成した[3]。
関連作品
編集- 小石房子『ひと粒の麦 内藤ジュリヤの生涯』作品社、2014年12月13日。ISBN 978-4-86182-511-8。