内山真弓
内山 真弓(うちやま まゆみ、天明6年(1786年) - 嘉永5年5月28日(1852年7月15日))は江戸時代後期の国学者、歌人。諱は国章、通称は理兵衛。別号に眉生、聚芳園。
信濃国安曇郡十日市場村(長野県北安曇郡池田町)生まれ。池田学問所に入り漢学を学び、文化7年(1810年)上洛して香川景樹親子に和歌を学ぶ。天保10年(1839年)から江戸で高島章貞とともに桂園派の敷衍活動に従事した後、天保13年(1842年)帰郷し、安曇野における桂園派の主流となり、家塾「聚芳園」を主宰した。
師の景樹没後の天保14年(1843年)、桂園派唯一の体系的歌論書とされる『歌学提要』を著した。 川会神社の境内に歌碑が建立されている。
稿本
編集- 歌学提要
- 東塢鶴聲
- 東塢塾中聞書
- 桂園紀聞
- 榜示杭
- 帰路日記
- 壇落葉
- 聚芳園随筆
- 吾嬬紀行
- 新来
- 家鶏一聲
- 古鏡伝
- 詠藻日記
- 真袖の記
参考文献
編集- 矢ヶ崎栄次郎編著『歌人内山真弓』
- 石川貞雄『郷土歴史人物事典 長野』
- 西尾 光次『信州桂園派の変遷』