六郷政殷
日本の江戸時代後期の大名。出羽本荘藩9代藩主六郷政恒次男で、六郷氏一門六郷主水養子。後に実家に戻り、本荘藩10代藩主。従五位下伊賀守・佐渡守・筑前守
六郷 政殷(ろくごう まさただ)は、江戸時代後期の大名。出羽国本荘藩の第10代藩主。官位は従五位下・伊賀守、佐渡守、筑前守。
時代 | 江戸時代後期 |
---|---|
生誕 | 文政11年(1828年) |
死没 | 文久元年3月14日(1861年4月23日) |
改名 | 佳之助(幼名)、政和 |
戒名 | 賢良院湛岳鳶水 |
墓所 | 東京都台東区西浅草の万隆寺 |
官位 | 従五位下、伊賀守、佐渡守、筑前守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家慶→家定→家茂 |
藩 | 出羽本荘藩主 |
氏族 | 六郷氏 |
父母 |
父:六郷政恒、母:不詳 養父:六郷主水 |
妻 | 岡部長和の養女・賀子 |
子 | 政鑑 |
略歴
編集文政11年(1828年)、第9代藩主・六郷政恒の次男として誕生した。母は側室。正室は岡部長和の養女・賀子(貞寿院、岡部長慎の娘)。
文政13年(1830年)2月24日、六郷氏の分家で家臣の六郷主水の養子となった。天保10年(1839年)3月18日、本家を継ぐはずだった長兄が早世したため、本家に戻された。天保12年(1841年)4月18日、政恒の嫡子になった。同年8月15日、12代将軍・徳川家慶に拝謁した。同年12月13日、従五位下・伊賀守に叙任された。後に佐渡守、筑前守に改めている。弘化5年(1848年)2月22日、政恒の隠居により家督を相続した。
嘉永4年(1851年)3月13日に城下町で大火が起こったため、藩民の救済に努めるなどしたが、それらの出費もさらにのしかかり、本荘藩の藩財政は相変わらず苦しかった。
系譜
編集父母
正室
子女
- 六郷政鑑(長男) 生母は賀子