六道絵
仏教で説く六道の世界を描いた仏画
六道絵(ろくどうえ)は、仏教で説く六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、人道、天道)の世界を絵画化した仏画。地獄変相の1つ。
概説
編集六道絵の原形はインドにあり、アジャンター石窟群第17窟の「五趣生死輪」がその例とされる。この種の六道絵は西域を経て中国に達したと考えられている。西域ではトルファン近郊のベゼクリク千仏洞(中華人民共和国新疆ウイグル自治区)の壁画中に「六道輪廻図」がある[1]。
日本では浄土教が広まった平安時代以降、大衆教化の役割を兼ねて多数制作された[2]。
源信の『往生要集』(985年)は、仏教信仰の面のみならず、日本の文学や造形芸術にも多大な影響を与え、同書の「厭離穢土」(おんりえど)の記述に基づく六道絵が制作されるようになった。平安時代の作例は記録のうえでは多数みられるが、現存するものは少ない。鎌倉時代になると滋賀・聖衆来迎寺の『六道絵』(15幅)は『往生要集』「厭離穢土」に基づく絵画作品として著名である。承久本『北野天神縁起絵巻』(北野天満宮蔵)には僧・日蔵の六道巡りの説話が絵画化されている。鎌倉時代の六道絵には、六道の描写に加えて、目蓮救母説話のような地獄救済説話や、地蔵十王図を組み合わせたものがみられる。京都・禅林寺の『十界図』(2幅)、兵庫・極楽寺の『六道図』(3幅)などはその例である。室町時代には十界(六道に声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界を加えたもの)と当麻曼荼羅信仰が融合した當麻寺奥院の『十界図』(六曲屏風一双)のような作品もつくられた[3][4]。
作例
編集- 蓮華王院(三十三間堂、京都市東山区)宝蔵に納められた六道絵巻 - 「地獄草紙」・「餓鬼草紙」・「病草紙」などがこれに含まれるといわれる
- 聖衆来迎寺(大津市)本『六道絵』 - 15幅、縦155.5cm×横68.0cm、絹本著色、鎌倉時代、国宝
- 禅林寺(京都市東山区)本『十界図』- 双幅、絹本著色、鎌倉時代、重要文化財
- 極楽寺(兵庫県多可町)本『六道図』 - 3幅、縦140.0~141.2cm×横120.8~124.5cm、絹本著色、鎌倉時代、重要文化財[5][6]
- 新知恩院(大津市)本『六道絵』 - 6幅、104×47cm、絹本著色、中国・南宋時代、重要文化財[7][8]
- 當麻寺奥院(奈良県葛城市)の『十界図』 - 六曲屏風一双
- 水尾(大阪府茨木市水尾地区の弥勒堂)本『六道十王図』2幅[9]
- 出光美術館本『六道絵』
- 西福寺(京都市東山区)の地獄絵
- 正福寺(鳥取県境港市)蔵 - 4枚 漫画家水木しげるの妖怪画の原点とされる[10]
脚注
編集- ^ ディジタル・シルクロード(国立情報学研究所サイト)
- ^ ろくどうえ【六道絵】 世界大百科事典 第2版の解説
- ^ 梶谷 1997, p. 1-25-1-27.
- ^ 菅村亨 2003, pp. 2–4.
- ^ 絹本著色六道絵(文化遺産データベース)
- ^ 多可町 絹本著色六道絵(極楽寺)
- ^ 大津市歴史博物館絹本収蔵品・データベース 絹本著色六道絵
- ^ レファレンス協同データベース 新知恩院絹本著色(けんぽんちゃくしょく)六道絵の概要を知りたい。
- ^ 鷹巣純「中世後期における六道絵と十王図に関する図像学的研究」『鹿島美術財団年報』14別冊、鹿島美術財団、1996年、1-11頁、CRID 1520573328550835456、hdl:10424/2749、NAID 40004773722。
- ^ 曹洞宗 巨嶽山 正福寺 寺宝紹介
参考文献
編集- 「梶谷亮治「六道絵の多彩な世界」」『週刊朝日百科 日本の国宝』朝日新聞社〈41号〉、1997年。
- 菅村亨「鎌倉時代六道絵画の特色とその背景について<論文>」『藝術研究』第16巻、広島芸術学会、2003年7月、1-16頁、CRID 1050859215939341696、ISSN 09149872、NAID 40005974892。