六国年表(りっこくねんぴょう)は、中国前漢歴史家司馬遷が編纂した『史記』の巻十五で、「表」の第三巻にあたり、「十二諸侯年表」の次に位置している。東周元王元年(紀元前476年)からの二世皇帝胡亥の死(紀元前207年)まで年代の戦国七雄の重大事件が記されている。周を除くと年表には七諸侯が記載されているが、この年表は「六国」という名前で、秦以外の戦国七雄を意味している。

年表収録諸侯

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以下、年表順(周を除く):

国名 国姓 建国時期 滅亡時期 建国君主 建国君主の出自 滅ぼした国 史記出典 爵位
嬴姓 BC900 BC207 秦非子 悪来の五世孫 [1] 『史記』秦本紀 伯爵
姫姓魏氏 BC403 BC225 魏文侯 周の畢公高の後裔 『史記』魏世家 侯爵
姫姓韓氏 BC403 BC230 韓景侯 曲沃桓叔の後裔 『史記』韓世家 侯爵
嬴姓趙氏 BC403 BC222 趙烈侯 造父中国語版の後裔 『史記』趙世家 侯爵
羋姓 BC1042 BC223 熊繹 帝顓頊の後裔 『史記』楚世家 子爵
姫姓 BC1045 BC222 燕侯克 周武王の功臣召公奭の子 『史記』燕召公世家 侯爵
斉(姜斉) 姜姓 BC1045 BC386 呂尚 建国の功臣 田斉 『史記』斉太公世家 侯爵
斉(田斉) 嬀姓中国語版田氏 BC386 BC221 田和 陳厲公の後裔 『史記』田敬仲完世家 侯爵

脚注

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  1. ^ 年表の最後は「趙高反,二世自殺,高立二世兄子嬰。子嬰立,刺殺高,夷三族。諸侯入秦,嬰降,為項羽所殺。尋誅羽,天下屬漢。」となっており、秦がいつ滅んだかは曖昧な書き方になっている。